>  2006/03/30 (木) 07:36:35        [qwerty]
> > 例えば演繹は無矛盾ですから、推移律を含まないような公理系を使う立場もあるでしょう
> > だが別の方法を提示する義務はないでしょう
> > 問題としているのは単に科学及び帰納法の不当性であるのですから
> > そして、現実とのすり合わせというのが究極的には幻想でしかないのだから、
> > 科学は原理的に無根拠な、ある種閉じた体系である、ということになるのだと思うのです
> > そして、現実とのすり合わせというのが究極的には幻想でしかないのだから、
> こんなこと貴殿はどこで書いたの?またどこで示したの?
> 貴殿が別の方法を提示する義務がある理由は簡単
> ここで扱っているのは単なる論理ではなくて実際の実験結果や
> さまざまな現象の説明だから
> より合理的に示せる何かがないならばその中でどうするか検討するしかない
> 演繹的な方法は漏れらは現実の現象について適用することが出来ない
> 帰納的な方法以外に何かあるならば貴殿の主張は正しい
> 帰納法を用いる以上に合理的な方法があるのだから
> 対案を示すことが出来るならば貴殿の主張は正しいと思うよ
> でも貴殿は何も示していない
> また恣意的ではないとはどのような状態を示すのかもさっきから全く示していない
> 貴殿はさっきから例も不適切だし自分の主張に必要なことにも答えていないよ

ですから、ゴールドバッハ予想についての証明の誤りを指摘したからといって、
よりよいゴールドバッハ予想を示す必要もないし、誤りのあったゴールドバッハ予想を
正しいものとして扱うということもできないでしょう
ゴールドバッハ予想も、ある視点で見れば単なる論理の話ではありません
数を実在するものとしてみるなら、その証明は現実に即した理論となるわけですから
先ほど科学者は真理を探究する、といった主旨の話がありましたが、間に合わせの論理を
それが真実には決してたどり着かないと知りつつ使いつづけているのなら、科学者はやはり
科学者でしかなく、真理への探求者ではないのではないか、と思えます

参考:2006/03/30(木)07時20分44秒