>  2006/03/30 (木) 07:41:02        [qwerty]
> > さっきから貴殿がやっているのは帰納法だから非合理という主張だね
> > でも帰納法以外のより合理的に示せる方法があれば非合理というのもわかる
> > でも単に非合理とだけいわれてもしょうがないよ
> > 他に方法がならば仕方ないから帰納法によって
> > 事実を集めてゆく方法を取るのが最も合理的ではないのかい
> > 注意して欲しいのは今回の話題は事実と理論のすりあわせだということなんだ
> > その場において根拠をどう考えるかが問題なんだよ
> やはりずれがありますね
> なぜ事実と理論をすり合わせるという行為が必須であり仕方がない、と考えるのか?
> それは単に科学という体系にとって仕方がない、というだけなんじゃないですか?
> 例えばカトリックにおいては帰納法はなくても深刻に困ることはなかったでしょう
> もちろん一般的に生活面等で帰納法と言うのはよく使われてはいますが、しかしだからといって
> そこから真実にたどり着けるとは思ってる人はいないでしょう
> ですから、先ほど科学者は科学にこだわらない、という話がありましたが、
> やはり科学者は科学者であると思うのですよ、もちろん全員とは言いませんが
> 科学がどうすりあわせを考えようと、そもそもすりあわせる必要すらない、
> という考えを誰かがもっているのだとしたら、その行為は単に科学にとってのみ
> 重要であるような、ローカルな話題に過ぎなくなるのじゃないでしょうか

それは最初の宗教と科学の話だね
違いがあるかどうかということが当初の話題だったのだから
貴殿のその主張によって違いがあること自体は示されたことになる
貴殿の当初の主張は宗教と科学は同じようなものであるということだったけれど
科学という体系にはカトリックという宗教と異なる特質があることが
貴殿の主張によって示されたことになる
まず一点、宗教と科学はその事実と理論をすり合わせるという行為において
異なっていることが示された

また昔のカトリック世界において帰納法がなくて困ることはなかったというが
今は逆に帰納法なしでは深刻に困る場面が存在している
帰納法によらなければ解決しない事実がたくさん存在していることが
貴殿の主張によって示されている

帰納法によって可能になったことがあるということは
現実の世界においては帰納法が一面の真実を示してしまっていることを十分に示している
もちろん完全に全てを描くことが出来ると主張する気はないけれど
帰納法的なものを完全に今貴殿が放棄してしまったら
生きることは出来ないだろう

また科学者は科学にこだわらないということは
多分もれは一度も言っていないし他の人も言っていないと思う
十分に上手く行くモデルを誰かが提示すればそれを採用するだろうとは思うけれど

また現に科学の成果によることによって生きているならば
すりあわせる必要すらないと思う人がいても余り意味はないと思うよ
事実なり真実なりの追求ということからしたら

参考:2006/03/30(木)07時26分58秒