> 2006/04/16 (日) 22:26:31 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 孤高の天才な
> 孤高。それは、昔から下手なお世辞の言葉として使い古され、そのお世辞を奉られている人に
> お目にかかってみると、ただいやな人間で、誰でもその人につき合うのはご免、
> そのような質の人が多いようである。そうして、その所謂「孤高」の人は、やたらと口をゆがめて
> 「群」をののしる。なぜ、どうしてののしるのかわけがわからぬ。ただ「群」をののしり、
> 己れの所謂「孤高」を誇るのが、外国にも、日本にも昔はみな偉い人たちが「孤高」であった
> という伝説に便乗して、以て吾が身の侘びしさをごまかしている様子のようにも思われる。
> 「孤高」と自らを号しているものには注意をしなければならぬ。第一、それは、キザである。
> ほとんど例外なく、「見破られかけたタルチュフ」である。どだい、この世の中に、
> 「孤高」ということは、無いのである。孤独ということは、あり得るかもしれない。
> いや、むしろ、「孤低」の人こそ多いように思われる。
> 私の現在の立場から言うならば、私は、いい友達が欲しくてならぬけれども、誰も私と
> 遊んでくれないから、勢い、「孤低」にならざるを得ないのだ。と言っても、それも嘘で、
> 私は私なりに「徒党」の苦しさが予感せられ、むしろ「孤低」を選んだほうが、それだって
> 決して結構なものではないが、むしろそのほうに住んでいたほうが、気楽だと思われるから、
> 敢えて親友交歓を行わないだけのことなのである。
> http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1605_18109.html
つまりどういうことよ?
参考:2006/04/16(日)22時25分21秒