2005/04/26 (火) 06:19:41        [qwerty]
実は昭和53年にこの尼崎駅からわずか2、3キロ神戸寄りの場所で当時の国鉄は
貨物列車の大事故を起こしている。12時40分ごろ香椎操車場発東京貨物ターミナル行きの
フレートライナーが脱線、巨大な貨車20両のうち11両が線路をふさいで東西の流通に
深刻な影響を及ぼした。その時も「脱線しようのない場所で脱線した」と言われたもので
私の中では大きな謎として残っている。27年前のこの隣の立花駅での事故は
人が亡くならなかったので関係者の中でも記憶が薄れているだろう。しかし国鉄から引き継いだ
「妖怪」をまだ社内に飼っているJRを思う時カンのいい公安関係者ならば
あまりの偶然にちょっと過去の資料を当たってみる気になるに違いない。
下山事件以来日本の鉄道の線路には謎が埋まっているのである。

ちなみに。立花駅大事故の2カ月前の8月12日は日中平和友好条約の調印日であった。
この不思議な暗合をどう読み解くのかはそれぞれに任せたい。更に言えば事故当日の
10月23日にはトウ小平副首相が来日している。「自衛隊の増強は当然」
その時彼はそう言ってのけた。