2006/05/13 (土) 18:26:20 ◆ ▼ ◇ [qwerty] 十三歳の小川真人君が常滑市民病院にかつぎこまれたときは、自力呼吸ができない状態だったという。
パンツ一枚の姿で、頭、鼻、 くちびる、背中などに無数の傷と皮下出血があった。
太ももはぱんぱんにふくれあがっていた。歯はグラグラだった。
取材にあたった小中陽太郎氏に対して、医師は「ももの筋肉が挫滅していました」と語っている。
挫滅とは、組織がめちゃめちゃにつぶれて、形をなしていないことだ。
戸塚ヨットスクール、戸塚校長の逮捕によって、小川君の死の真相は次第に明らかにされるだろう。
元訓練生の話では、入所の翌日から、木刀のあらしが小川君を襲った。
死の当日は、食事もうけつけないほど衰弱していた。熱が三十八度もあり、押し入れで寝ていた。
コーチがそれを見つけて殴り、戸塚のところへ引きずって行った。
「海へつけとけば治る」と戸塚が命じ、頭を押さえて海に沈めたり、殴りつけたりしたという。
四年前には、当時十四歳の少年が訓練中に死に、三年前には二十一歳の青年が死んでいる。
ふたりとも全身に数多くの皮下出血があった。去年、一人の少年がヨットスクールの悪口を親あての手紙に書いた。
それを見つけた戸塚やコーチたちは、約七時間、少年を殴り続けた。
「顔がふくれあがってうちわみたいになった」という証言がある。
殴られた少年はやがて、仲間とふたりで海に飛びこんだらしい。その行方は知れない。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage163.htm
訓練生Aは、入校4日目に暴行により死亡(昭和55年11月)。
訓練生Dは、入校一週間で暴行を受け衰弱していたが戸塚校長、コーチ陣達はヨットから何度も海に突落し死亡させた。
この間、一切診療は受けられなかった(昭和57年12月)。
訓練生BとCは、体罰を恐れてフェリー「あかつき号」から海面に飛び込み脱走を試みたが死亡(昭和57年8月)。
戸塚校長らは、訓練生に対して遠慮無く「竹刀で叩いたり、殴る・蹴る」を日常的に繰り返した。
また、半ば監禁状態にあった全寮制のヨットスクールから脱走し自宅に逃げ帰った訓練生をコーチ達が待ち伏せし、
連れ帰るということが続いた。戻された訓練生への暴行は更にエスカレートしていった。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/p163-2.jpg