東京女給学院に続き、明治25年前後に集中して日本各地にメイド学校が設立 された。学校が設立されるということは、メイドの供給が安定するというこ とであり、また、どうすればメイドになることができるかの道筋が見えるよ うになるということである。このことにより、メイドは「ぽっと出の」イレ ギュラーな存在から、職業のひとつとして日本社会にその位置を占めるよう になったのだ