> 2005/04/29 (金) 07:50:05 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 端的に述べたものとしては
> > 「変なものを変だというのが悪いのかというレベルの主張は、その本をいいと感じて
> > いいものはいいんだと主張する読者と同レベルだな」
> > が挙げられるし、もう少し詳しいものとしては
> > 「…それに対してその本に感動する読者と同レベルであり彼の主張は論理的批判では
> > なく同レベルの感情に基づいて野次を飛ばしているに過ぎない」
> > があるな。
> それはおかしい。
> 上に挙げられた例は、単に本に感動しているのと同レベルであるという命題の根拠とはなっても
> 不適切性そのものを証明してることにはならないだろ。
> それに、貴殿は非論理的批判というが、擬音語の問題などそれなりの論拠は
> 示されていると思うがどうか?
なるほど、では「変なものは変だ」という主張が適切であるとしよう。で、これは「い
いものはいい」と同レベルであるから、「いいものはいい」という主張も適切である
ことになる。ところで、「変なものは変だ」は「その本は変である」ということを主
張し、即ち、「その本はいい」ということを否定するものである。しかもその言明は論理的に適切なのだから、それは「その本はいいか変かのどちらかである」という
論理的属性そのものについての言明である。一方「いいものはいい」は「その本はい
い」ということを主張するものだ。ここで、両者の言明は適切なのだから、その本は
属性としていいということと変ということを同時に持つことになる。しかしこれは矛
盾する。よって「変なものは変だ」は適切ではないということになる。
参考:2005/04/29(金)07時38分24秒