>  2006/06/09 (金) 12:23:53        [qwerty]
> > ギスギス診断士だけど
> > 意外と気付いてない人が多いんだが…例えば
> > 「南京大虐殺はあった」「南京大虐殺はなかった」
> > って両方正しい状態になり得るから
> > 論理的には絶対決着が付かない議論になるんだよね
> > どうしても勝敗を決めて欲しいなら
> > 競技ディベートデバイスを作動させれば良いけど
> > こいつはかなり強引な上
> > 事実がどうであろうとディベート的な勝敗で決めるから
> > 真実の追究には全く使えないよ(;´Д`)
> なんで両方正しい状態になりえるんだろう?(;´Д`)必然性とアプリオリの違いみたいな話?

いやいやヽ~ノ;´Д`)もっと単純
ここからはギスギス診断とは離れた話になるのを承知で
俺の考えとして読んで欲しいけど
今の南京論争を見ると恰好の「失敗してる議論」のモデルになるんだよ
否定派は
「虐殺とは非戦闘員に30万人の被害者が居た場合でなければいけない」
と主張して
肯定派は
「30万人はいないが南京入城時非戦闘員の殺害があったのは事実である」
という主張をしてる場合
話してる内容が違うから論理的にはどっちも正しいって状況が起る事になる

例えばこの場合
「南京入城時殺害された非戦闘員の数はどのくらいだったのか」
と
「南京入城時の非戦闘員殺害は虐殺にあたるか」
と言う風に議題を分けて何を話すか明確にすれば
少なくとも前者は論理的には結論を導ける
後者は“論理的に”結論が出るかどうかは分からない

参考:2006/06/09(金)12時09分34秒