2006/07/22 (土) 12:06:45        [qwerty]
平賀源内は参府の蘭人と交わり,西洋博物学の研究を志してドドネウスの《紅
毛本草》などの蘭書を集めたが,蘭語学習に挫折し,長崎に赴いてオランダ通
詞に翻訳を依頼したが通詞が金を持ち逃げし,学問的にも生活的にも行きづまった。
そのため企業家に方向転換して輸出用の陶器製作を計画し,あるいはメンヨウ
を飼育して毛織物を試作し,さらに秩父,多田,秋田の鉱山の採掘に手を出し
たが,いずれも失敗に終わり生活に窮した。