2005年4月3日、日本スーパーフライ級チャンピオンの田中聖二に挑戦し、 10回TKO勝ち。王座奪取を果たすも、田中選手は試合後に意識不明の重体となり、 2週間後に亡くなる。当然のことながら、名城自身も大きなショックを受け、 1カ月間自宅に引きこもり「本気で引退を考えた」とのこと。 後に、田中選手のジムメイトでWBCスーパーフライ級チャンピオンの 徳山昌守の防衛戦の会場で、田中選手の父親との対面を果たし、 「(亡くなった)息子のことは気にせず、これからも頑張って」と励まされたそうである。