険しい山々の間に、小さな秘湯の宿がある。 そこは10人も入れば満員になる内湯と、宿から少し山道を下った所に、 もう少し小さな露天風呂を持っている。 この露天風呂、深夜になると時々、不思議なものに出会う事がある。 灯りと言っては脱衣所の電灯と月明かり。それ以外には何もない。 あたりは信じ難いくらい濃い闇と、星々が煙るように瞬く空。 風が時折、草木を揺らして通り過ぎる。 こんこんと湧き続ける湯。 耳鳴りがしそうなほど静かな中で、手足を伸ばし、ぼーっとしていると、 突然“ちゃぽん…”と音がする。 だが、音のした方へ目をやっても、何の姿も無い。 けれども、そちらにはまるで雨が降っているかのように、湯の表面に、 丸い小さな波紋がぽつり、ぽつり…と幾つも生まれて消える。 それも、人が手を伸ばした範囲ほど。 そして、その雨垂れと共に線が一本、ゆっくり、つぅーっと走る。 ほんの少しゆらり、と湯を揺らがせ、俺がいる所から一番遠い所に 止まって陣取る。 そこにだけ、静かに雨が降っている。