> > ヴィトゲンシュタインは論理哲学論考を博士論文として受理されたらしいが、 > > あんな形式でいいならそもそも論文に形式は存在しないのじゃないかとすら思えてくる > そんな天才の所行を一般論と混同されてもな(;´Д`) > 最近では業績に寄る博士号の授与もほとんどなくなってきたが いや、天才だからという言い方はおかしいんじゃないか? 例えばある天才が論文として絵画や音楽で提出したとして、じゃあそれは天才だからという理由で受理されるだろうか? 仮にその絵や音楽を鑑賞した結果文字で書かれた論文を読んだ以上に明晰に作者の問題、方法、結果、考察が 理解できたとして、じゃあそれは論文として認められるのだろうか?といったらおそらくならないのじゃないかと思う ならないのだとすればおそらく論文に形式は存在するんじゃないだろうか だとしたら論考が論文である理由は一体なんだろうか、という疑問だったのだ 参考:2006/09/01(金)22時52分03秒