> 2006/09/13 (水) 02:54:10 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 貴殿はちょっと違った方向に理解している気がする
> > 具体例といっても、全ての仮定・仮説について言えるんだ
> > 要するに、帰納法的な推論には偏見が存在しその偏見に従属するように論は立てられてしまうのであるから、
> > 科学が中立であって真実に向かっての探求であるという主張は出来ないし、偏見が働くという点では
> > 宗教以上ではないということなんだよね
> > 執拗な実験と観察に対する情熱・盲信はまさに宗教のそれだし
> 全ての仮定・仮説に関して言える可能性があるのは理解できないでもないけど
> 具体的に適用してもらわないとやっぱりどうともいえないと思うよ
> そしてそういう批判があって難点があると見れば修正するのが多分科学なんだと思う
> グルーは考えた人は頑張って考えたんだろうけど多分現実と余りにかけ離れた例過ぎて不適切じゃないだろうか
> ついでに言えば今までの議論では偏見の働きについては余り指摘できていないだろうか
> 結局のところ導き出されたのはグルーであっても現実の科学や社会では
> 二つの社会の間で見方が比較検討され、必要なら分類する基準を作り装置を作り
> 必要な色の分類が可能になってしまうという程度だと思う
> 執拗な実験と観察に対する情熱・妄信というなら他にどういう方法があるのかが問題になるのではないの?
> むしろそれ以外に問題はない
> その方法が少なくともここ数世紀極めて有効に機能したからそうされているわけだし
だとしたら「帰納法に根拠がない」という批判に対して、帰納法自体を反省したり改良したりを科学がしたのかい?
そして、「有効に機能したから問題はない」というのなら、近代にいたるまで、キリスト教をはじめ
多くの宗教に有効に機能していたし、今だって昔日ほどではないにしろ機能しているんじゃないのかい?
参考:2006/09/13(水)02時36分14秒