>  2006/09/13 (水) 03:00:26        [qwerty]
> > 全ての仮定・仮説に関して言える可能性があるのは理解できないでもないけど
> > 具体的に適用してもらわないとやっぱりどうともいえないと思うよ
> > そしてそういう批判があって難点があると見れば修正するのが多分科学なんだと思う
> > グルーは考えた人は頑張って考えたんだろうけど多分現実と余りにかけ離れた例過ぎて不適切じゃないだろうか
> > ついでに言えば今までの議論では偏見の働きについては余り指摘できていないだろうか
> > 結局のところ導き出されたのはグルーであっても現実の科学や社会では
> > 二つの社会の間で見方が比較検討され、必要なら分類する基準を作り装置を作り
> > 必要な色の分類が可能になってしまうという程度だと思う
> > 執拗な実験と観察に対する情熱・妄信というなら他にどういう方法があるのかが問題になるのではないの?
> > むしろそれ以外に問題はない
> > その方法が少なくともここ数世紀極めて有効に機能したからそうされているわけだし
> だとしたら「帰納法に根拠がない」という批判に対して、帰納法自体を反省したり改良したりを科学がしたのかい?
> そして、「有効に機能したから問題はない」というのなら、近代にいたるまで、キリスト教をはじめ
> 多くの宗教に有効に機能していたし、今だって昔日ほどではないにしろ機能しているんじゃないのかい?

さっきのグルーの議論は帰納法の批判になってたの?ちょっと漏れは理解できないんだけど
今言ったとおり現実に当てはめた場合新たに基準は作り変えられるし
あるいは様々な観察結果から新たに仮説や基準が作り出されることもある
グルーのようには残念ながらなりえない
あの議論は違う観点が存在する、区別できる人がいる、という時点で大して意味のない議論になっている
少なくとも今のところ貴殿は余り適切に帰納法の問題点を指摘できてはいないと思うよ
演繹的な議論といっても純粋に数学的な議論でもない限り機能的なのではないのかい
例えばグルーにしたって経験的な色を媒介してしか語れない
貴殿の語りさえ帰納的なものを排除できているとは到底いえないと思うよ
少なくとも帰納だから、それだけで問題があるというのは余り適切には俺には思えない

参考:2006/09/13(水)02時54分10秒