> 2006/09/13 (水) 03:31:48 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 負荷性がかかってるってさっき言ってること以上のことを何も言ってないじゃないか
> > また新しい基準が出来たとしても前の基準と同じ程度のものでしかないといわれても
> > 現実に区別できてしまうのだから仕方ない
> > 区別できたとしても何が同じなの?
> > 前の基準と違う基準を作ってそれが同じであるというからには
> > 別の違う基準を貴殿は暗に想定している
> > 貴殿は隠そうとしているけれど結局別の時点では別の区別基準がありえるからという以上のことを言っていない
> > 結局さっきのグルーと同じだよ
> > グルーのパラドックスがそれなりに有名なのは知ってるよ
> > でもどこ行っても貴殿と同程度の現実を無視した議論ばかりで余り意味がないとしか思えなかった
> > とっつきやすい問題は議論になりやすいから話にのぼりやすい程度の話だと思う
> > あるいはこの程度の無理のある話でしか
> > 帰納法の問題点を指摘できないということなんじゃないだろうか
> > 帰納法に依存している以上心理に隔たりがあるというのは結構だけど
> > 帰納法に依存していない議論なんて存在しないから意味がない主張だと思うよ
> 存在してないか?
> 帰納法って知ってる?
> 例証とは違うよ?
> 帰納法ってのは、「今日晴れだったらだろ?だから明日も晴れだよ」って類のもんだぞ?
> 「ソクラテスは人間である、人間はみな死ぬ、ゆえにソクラテスは人間である」
> これは帰納法か?
> あと無理のある話でしか指摘できないの意味がわからん
> 帰納法が原理的な方法だとしたら例え無理があったとしても当然何の問題もなくすルーできるはずだ
> グルーのようにはなり得ないの意味も不明
> 現にグルーという概念しか持ってない社会だったらグルーはグルーでしかない
> 今も現実にそういう社会がないという保証はまさにどこにもないわけだ
> それを比較して新たな基準を作ったとしても、それは新たなグルーでしかない
> これがそもそも帰納法だってことだ
でもグルー社会と漏れらの社会が出会ったらそれで終わりじゃない
そうすればグルー社会もちゃんと区別できる方法を手にしてしまう,
同じ物理法則に支配された世界にいる以上余りにも無理がある
もちろんそういう物理法則が存在しないといいたいならそれも結構だけど
そのときはそもそも色の議論が可能かどうかが極めて疑わしい
ソクラテスは人間であるというのの裏には当然様々な観察があるし
人間はみな死ぬというのも様々な観察の結果導き出されたことだろう
三段論法も結構だけどその一箇所だけを見てもしょうがないよ
そのような意味で実際には帰納を含まない議論はありえない
帰納法が原理的な方法だとしたら例え無理があったとしても
当然何の問題もなくスルー出来るかどうかは知りませんな
例えば計算可能と実際に計算したときに膨大に時間がかかることは別のことだろう
参考:2006/09/13(水)03時25分27秒