> 2006/09/13 (水) 03:43:08 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 存在してないか?
> > 帰納法って知ってる?
> > 例証とは違うよ?
> > 帰納法ってのは、「今日晴れだったらだろ?だから明日も晴れだよ」って類のもんだぞ?
> > 「ソクラテスは人間である、人間はみな死ぬ、ゆえにソクラテスは人間である」
> > これは帰納法か?
> > あと無理のある話でしか指摘できないの意味がわからん
> > 帰納法が原理的な方法だとしたら例え無理があったとしても当然何の問題もなくすルーできるはずだ
> > グルーのようにはなり得ないの意味も不明
> > 現にグルーという概念しか持ってない社会だったらグルーはグルーでしかない
> > 今も現実にそういう社会がないという保証はまさにどこにもないわけだ
> > それを比較して新たな基準を作ったとしても、それは新たなグルーでしかない
> > これがそもそも帰納法だってことだ
> でもグルー社会と漏れらの社会が出会ったらそれで終わりじゃない
> そうすればグルー社会もちゃんと区別できる方法を手にしてしまう,
> 同じ物理法則に支配された世界にいる以上余りにも無理がある
> もちろんそういう物理法則が存在しないといいたいならそれも結構だけど
> そのときはそもそも色の議論が可能かどうかが極めて疑わしい
> ソクラテスは人間であるというのの裏には当然様々な観察があるし
> 人間はみな死ぬというのも様々な観察の結果導き出されたことだろう
> 三段論法も結構だけどその一箇所だけを見てもしょうがないよ
> そのような意味で実際には帰納を含まない議論はありえない
> 帰納法が原理的な方法だとしたら例え無理があったとしても
> 当然何の問題もなくスルー出来るかどうかは知りませんな
> 例えば計算可能と実際に計算したときに膨大に時間がかかることは別のことだろう
グルー社会が緑と青という区別を手にしれていったい何の問題あるんだい?
話の骨子は全くそういうところにはないぞ
物理法則という概念自体科学という一世界観に過ぎない
1000年前に神様がこの世を支配していましたという御伽噺以上のものではなり得ないじゃないか
帰納法という真になり得ない論法に頼っている以上。
そもそも対象自体人間の認識に依存したものでしかない
カナヅチは有益な大工道具にもなるが時に凶器にもなる
一人の人間にとっての一つの対象においてすら認識は固定化されないのに、同じ物理世界に生きているからといって
基準は出来るなんて言うのは楽観にもほどがあるように感じる
ああ、あと論法の方はソクラテスの代わりに
X=Y,Y=Z, ∴X=Z
でも全く問題はないんだが、じゃあこれは帰納法なのかい?
別にソクラテスは人間でなくタコでもイカでもアニメキャラであっても論法が真の形式をとるならば結果は真だよ
というか、貴殿は一体何を主張しようとしているのかよくわからない
もう少し今何が問題になっていて貴殿はなにを主張したいのかを整理してから書いてくれないだろうか
参考:2006/09/13(水)03時31分48秒