> 2005/05/08 (日) 16:52:46 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 『資治通鑑』の中華思想
> > モンゴル高原の遊牧帝国は、トルコ帝国からウルグイ帝国へと、常に隋・唐時代の中国にとって脅威の源であり続けた。
> > ことキタイ(契丹)帝国は、九三六年の燕雲十六州の割譲以来、五代・宋の中国に対して優位に立っており、
> > 一〇〇四年の澶(せん)州の和約によって、キタイの宋に対する優位は確定した。
> > この形勢は、中国人のアイデンティティに、決定的な変化を引き起こした。
> > もともと中国というのは、皇帝を中心とする世界のことであり、皇帝の治める都市に住んで、皇帝が制定した漢字を使う人が中国人であり、
> > 出身の種族には関係がなかった。
> > さらに「中国人」という用語すらなく、秦代には「秦人」であり、漢代「漢人」であり、三国時代には「魏人」「呉人」「蜀人」であり、
> > 晋代にし「晋人」であった。
> > これらはすべて、皇帝に属する人という意味で、種族の観念を含まなかった。
> > そこへ五胡十六国の乱が起こって、三一六年に晋朝がいったん滅亡し、皇帝制度が消滅した。
> > この時から中国では、遊牧民出身の王朝が切れ目なく続いたため、中国人といえば被支配者階級を意味することとなってしまった。
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> > 隋も唐も鮮卑の王朝であり、五代に入っても後唐・後晋・後漢とトルコ人の王朝が続いた。
> > やっと宋になって、中国人の王朝が六百年ぶりに中国を統一したやさきに、宋代の中国人は、高梁河の敗戦と澶(せん)州の和約の屈辱によって、
> > 遊牧帝国の系列に属するキタイの優位を承認しなければならなかったのである。
> > この情勢が、すでに六百年の非中国人王朝の支配下で傷ついていた中国人の自尊心に、さらなる打撃を加えた。
> > 「中国人」はここに及んで種族の観念になり、われわれ中国人は武力では「夷狄」に劣るが、文化では「夷狄」に勝るのだと主張したがるようになった。
> > この主張がいわゆる「中華思想」であるが、この主張は事実と反する。
> > どんな社会でも、支配階級のほうが被支配階級よりも高い生活水準を享受し、従って文化の程度も高いことは当たり前である。
> > どの時代の中国においても、支配階級の「夷狄」のほうが、被支配階級の中国人よりも文化において優っていたのである。
> > 中華思想は、中国人の病的な劣等意識の産物であるが、この中華思想を歴史によって正当化し、中国人の優越性を証明しようとしたものが、
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> > 宋の政治家司馬光(一〇一九~六八)の著書『資治通鑑』である。
> > 『資治通鑑』は、前四〇三年(戦国時代の初め)から九五九年(宋の太祖の即位の前年)までの千三百六十二年間を扱う編年体の歴史書である。
> > 司馬光の時代には、一つの「天下」(世界)にキタイの皇帝と宋の皇帝という、二人の皇帝が並立していた。
> > これは司馬遷の『史記』の枠組みで言えばあり得ないことであり「正統」の観念に反することであった。
> > 『資治通鑑』の構造は、この現実の情勢を乗り越えて、歴史を理想化し、中国の名誉を回復しようという、宋人の意志を反映している。
> > 司馬光の時代と同じように、二人の皇帝が並立した南北朝時代については、唐の史官たちは南朝をも北朝をも公平に扱って、
> > いずれをも正統の皇帝と認めて記述していたが、司馬光の『資治通鑑』では一貫して、中国の中心部に国を建てた北朝の年号ではなく、
> > 江南の辺境の亡命政権である南朝の年号を使って、年代を表示している。
> > 年号は、時間に対する皇帝の支配権を表現するものだから、『資治通鑑』の書き方は、鮮卑の北朝をキタイになぞらえて、その皇帝を偽者の皇帝として、
> > 正統と認めることを拒否する。
> > そして南朝は弱体であっても、宋と同じように中国人の王朝であるので、その皇帝だけを真正の皇帝として正統と認めることを意味する。
> > 『資治通鑑』はこうした書き方によって、周代以来の正統が、秦・漢以後の歴代の王朝を通じて、宋と直接つながっていること、
> > 中国人王朝の宋の皇帝だけが、中国を支配する正統な権利があることを主張したのである。
> > キタイ帝国に対する司馬光の対抗意識と、傷ついた中国人の自尊心を回復しようとする努力が、ここに表れている。
> > 司馬遷の『史記』が中国という世界を定義したのに対して、司馬光の『資治通鑑』は中国人の種族観念を規定してしまった。
> > こうして正統の観念と中華思想が結びついた結果、これ以後の中国人は、ますます中国の現実がみえなくなってゆくのである。
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> > 『世界史の誕生』~モンゴルの発展と伝統~ 岡田英弘著より抜粋
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> > 中国人と朝鮮人が何故あんなのかちょっとだけ理解できたよ。ヽ(´ー`)ノ
> > つーかこの人の本は非常に面白い。他にも『倭国』もお勧めします。
> 長文うぜぇ
中国四千年の歴史って
いったいどの時代からカウントしてるんだ
参考:2005/05/08(日)16時51分11秒