2006/10/18 (水) 01:44:22        [qwerty]
2006年10月25日に行われたこの2回目の核実験における杜撰な封印作業が原因で
爆発と同時に岩盤が崩落し大気に露出。
放射性物質を含む塵が大量に吹き上げられ,偏西風に乗り拡散。
中国ロシアに続き翌日夜半に日本に粉塵が到達。
安部総理ら政府関係者は護衛艦に乗り太平洋上で緊急事態を宣言。
本州住民は大阪以南に殺到し,その過程で1000人を超す死者を出す。
爆発から2日後には米中露韓の連合軍が北朝鮮に侵攻。
真っ先に到達した中国軍が実験跡をコンクリートで封印して汚染の拡大は収束。
北朝鮮にとって事故は予想外であり,38度線に配備していたソウル向けロケット砲は
米軍の巡航ミサイルとステルス爆撃機の奇襲により一方的に壊滅される。
しかし国境付近に常駐していた部隊が独自判断で韓国側に侵攻。
韓国側の大部隊と正面から激突し結局壊滅する。
ソウル市内では工作員が散発的とはいえ爆破テロを行い厳戒態勢が敷かれる。
平壌市内では金正日直属部隊の激しい抵抗により連合軍に想像以上の損害が発生。
多大な犠牲を出して11月3日にようやく首都制圧。
8日には国連事務総長により北朝鮮の解体宣言がなされ,
国連による信託統治が開始される。
米中露の確執があったが衝突は小競り合いに留まり,
結局韓国軍が主体となって維持にあたることとなった。

http://www.sankei.co.jp/news/061018/kok001.htm