> 2006/10/18 (水) 04:08:01 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 貴殿の言うことは一見正しそうなんだけどちょっと机上の空論だよ
> > 実際に見えるかどうかだからね(;´Д`)
> > 意図を感じさせようがどうだろうか適切に狙った効果が出ればいいんだ
> > もちろん効果をあげるケースも上げないケースもある
> > 視聴者によっても受け方は違う
> > 現実にラーゼフォンは多くの視聴者に受け入れられなかった
> > ただし意図したかどうかは不明だけど恐らくそうなんだろうと見えた人がいる
> > それだけだよ
> > 究極的なところは作者本人に聞かないと分からん
> ・排除した可能性がある
> ・排除したことを示唆するシーンは作中にどこにもない
書いたとおりだよ(;´Д`)
当時のスタンダードからすると入れるのは恐らく非常に自然なことだったんじゃないかな
もちろん同意する人もしない人もいるだろうけど
当時の標準に乗って作ってしまってもよかったはずなんだ
> ということは結局受け手の完全な推測でしかないわけで
> 例えば排除していた場合に名作なのだとしたら
> 排除したことを示唆することが出来なかった時点で作者は構成意図を視聴者に
> 伝えることができていないしそうでなかった場合については元の評価のままだ
排除を示唆してもしょうがないんだよ
便宜上、貴殿の言うように作者の意図が実現されていることが重要というなら
排除したことで何らかの効果が得られることが重要なのであって
受け手が気付くかどうかは問題ではない
もちろん作者の意図を考えずとも
つまりある欠落、排除が作者の意図によらなくても
結果的によい効果が出ていれば作品としては成功だ
> ということが言いたかった
> 要するに後から視聴者が本来もしかしたら作者が意図していたかもしれない
> 意図に気付くことが出来てもしそうであれば素晴らしい作品だったとしても
> 結局それを伝えることが出来なかった時点で駄作だし
> 勝手な妄想で盛り上がってるに過ぎないよ
気付く云々は書いたとおり
デブさんが意図していようがどうだろうが駄作は駄作、名作は名作
貴殿がつまらないと思えばそれだけのことでしかない
多分貴殿らは意図したかどうかというのを非常に評価してるから
そう言うんだと思うけど別に大したことではないと思うんだよ(;´Д`)
漏れ自身は意図したものだろうとは思うけれど
参考:2006/10/18(水)03時58分02秒