>  2006/11/07 (火) 19:51:30        [qwerty]
> http://spgf.org/jp/book/contents/from_guru/book_index.htm
> シャクティパットグル高橋弘二はすごいなあ(;´Д`)
> しかし彼の文章がインターネットアーカイブでもいいのが見つからない
> 日記みたいに載ってた文章はどこに消えたんだろう

かっこいい(;´Д`)




     『LIFE FROM GURU』 という title 本は、SAI BABA からの贈り物であり
ます。私は、SAI BABA との約束を、このたびの人生で果たすため、Japan とい
う国に生まれてきたのです。この60年間、ギリシャ語でいうところの、日の出
づる国、Japan で、変形のギリシャ哲学を体験したのです。変形以前の、すな
わち、original のギリシャ哲学そのものは、SAI BABA から、SAI BABA に仕え
た6000年の間に、直接、学んだのでありますが、それにしても、Japanという国
は、困難に立ち向かう、意欲の高いところであります。15歳のときに、SAI 
BABA から、あらためて、message を授け取りました。「高橋弘二よ、今日、お
まえの右の目を、ぶっつぶすから」そう言われたのです。別段、だから、どう
のということは、ないのでありますが、氣になることは、確かに、3つほどあっ
たのです。
    (1) 片方の目を、すなわち、失明すれば、バカになるというのは、医学の
常識であります。定説とか、通説というのではないけれど、バカでも知ってい
るほどの、常識なのです。さて、このことをどうすればよいか。

    (2) 右目失明という現状を、障害者と呼ぶか、呼ばないか。すなわち、障
害者というのは、肉体上の機能障害と、精神障害のことでありますが、バカに
なるのであれば、精神障害。右目がただ、つぶれるのであれば、肉体上の機能
障害、ということです。いずれも、あたりなのか。それとも、いずれも、ハズ
レなのか。それとも、片方だけなのか。
    (3) 痛いとか、つらいとか、恥ずかしいとか、などというのは、行者の初
年兵のころ、クリア済みでありまして、別段、何もないのですが、バカとして
生きるのであれば、それなりの覚悟が必要だし、単なる片目だというのであれ
ば、別にどちらでもよいと、数秒かけて考えたのです。まあ、結末としては、
考えることなど、必要なかったのでありまして、バカは、失明するまえから、
そうであったし、ということなのです。
     過去生において約束した、SAI BABAから贈られた14の仕事、右目、とい
う名の handicap とともに、Japan という名の変形ギリシャ哲学とともに、ど
れだけのことを、成し遂げることが可能か、この本こそが、それなのです。
http://spgf.org/jp/book/contents/life_from_guru/book_index.htm

参考:2006/11/07(火)19時47分55秒