2005/05/12 (木) 23:43:54        [qwerty]
わたしは森を愛する。都市は住むに堪えない。そこには淫蕩な者が多すぎる。
淫蕩な女の夢のなかに落ちこむよりは、殺人者の手に落ちこむほうが、ましではないか。
またあの男たちを見るがいい。彼等の目が語っている。―彼等はこの地上で、女と寝るよりましなことは何も知らないのだ。
彼等の魂の底には泥がたまっている。しかもその魂に精神があるとなると、災いである。
彼等が、せめて動物として完全であるならいいのだが。だが動物であるためには、無邪気さが必要なのだ。
わたしは君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。わたしが勧めるのは、官能の無邪気さだ。
わたしは君たちに貞潔を勧めるのではない。貞潔は、ある人々においては徳であるが、多くの者においては、ほとんど悪徳である。
そういう多くの者も、なるほどおのれの欲望をおさえはする。しかし、彼等の行う一切のことから、肉欲の雌犬の妬みの目がのぞいている。
彼等の達する徳の高みへも、彼等の持ちつづけている冷ややかな精神の底にも、この雌犬とその不満とは、ついていく。
そしてこの雌犬は、一片の肉が拒まれると、なんと殊勝げに一片の精神をねだることだろう。
君たちは悲劇を愛するのか。すべての悲痛なものを愛するのか。しかし、わたしは君たちの内部に住む雌犬に心を許すことはできない。
わたしの見るところでは、君たちはあまりにも残忍なまなざしをしている。そして悩んでいる者たちを淫らな目でながめるのだ。それはただ、淫欲が変装して、同情と自称しているだけではないのか。
さらに、こういう比喩を君たちに与えたい。世には、自分の内部から悪魔を追い出そうとして、かえって自分が豚の群れの中へ走りこんだという人間が少なくないのだ。
純潔を守ることが困難な者には、純潔を思い切るように勧めるのがいい。純潔が、地獄―すなわち魂の泥と淫蕩―への道とならぬために。
わたしが汚らわしいことについて語っているというのか。だが、これはわたしの語る最悪のことではない。
認識をこころざす者が、真理の水にはいることをいとうのは、その水が浅いときだけであって、真理が汚らわしいからといって、彼はその中に入ることをいといはしない。
まことに、根本的に純潔な人々がいるものだ。彼等は心から柔和に、君たちよりも、好んで笑い、ゆたかに笑う。
彼等は純潔そのものをも笑う、そして言う。「純潔とは何であるか。
純潔とは愚かしさではないのか。しかしこの愚かしさは、愚かしさのほうからわたしたちのところへ来たのであって、わたしたちがわざわざその愚かしさに近づきになろうとしたのではない。
わたしたちはこの客に、わたしたちの心を宿として提供した。そこで今彼はわたしたちのところに泊まっている。―泊まっていたいあいだは、そこに泊まっているがいい」

ツァラトゥストラはこう語った。