2006/12/16 (土) 05:59:53        [qwerty]
東京に住む人々は一年のうちに青空を見ることができる日数は片手で数えられるほどしかない。ある日本の
テレビ番組で「東京にないものは?」というクイズに対する正解は空であった。また、大阪-神戸間の電車に
乗る人々は神崎川の鉄橋を渡る時、漂ってくる悪臭を避けるために必ずハンカチを鼻で覆うのが常である。
(中略)
 日本の都市の街角には大気の汚染度と汚染度を示す電光掲示板が立てられていて、人々の注意を促す。
東京の交通巡査はいつも酸素マスクをつけて街頭に立っているし、町々にはコーヒーやコカコーラを売る
スタンドと並んで酸素を売るスタンドも見受けられる。
日本の急激な経済的発展は環境と結びつくたくさんの問題を生み出した。大気は汚染され、ゴミは処理されずに
山のように積まれ、都市の騒音は年々ひどくなるばかりである。日本人はこれらを総称するのにコウガイという
新しい言葉を使うに至った。
(中略)
 このような状態が続くとどうなるのか?日本政府は1985年の都市生活の恐るべき未来像を人々に次のように示している。
 母親たちの大集団が公園でデモをしている。プラカードには少なくともつきに一回私たちに新鮮な野菜を与えよと記されている。
 学校では人口過密のため、一つの机に少なくとも二つずつ並ぶようになった。中学や高校ではみな夜間授業を
始めたが、それでもまら全部を収容しきれない。ゴミは道の両側にうずたかく積まれている。川などに投棄する
ぐらいではとても間に合わないのである。
 電力も不足しがちで午前8時から午後6時までは停電である。水道の給水も朝夕3時間だけに限られる。レストランでは
一杯の水がブドウ酒と同じ値段になった。雨の日には水を集めるためにバケツをもった男女が道に溢れる。サラリーマンは
ふだんデスクの中に水着をしまっておき、雨の日にはそれを見て外で水浴するのが一般的になった。
 こうしたことは東京だけではなく、問題解決をうまくやらないと世界各地の大都市でも起こるかもしれない。恐ろしいことである。