2006/12/28 (木) 00:11:48 ◆ ▼ ◇ [qwerty]人には二つのタイプがある。何をやっても迷惑にならない人と、何をやっても迷惑になる
人だ。だいたいそういうふうに二極化するように見える。
次のように言うと疑問に思う人がいるかもしれないが、つまり、迷惑の神というのは行為
にではなくて人に宿るのではないかと思われるフシがある。昨日、バスの中で携帯電話を
使っている人がいたが、不思議とこれは迷惑に感じなかった。もちろん、バスの中で携帯
電話を使うという行為自体はルール違反ということになっているので、ルールを守らない
ということをもって迷惑であるとすることもできるのだけれども、そういう理屈はともか
くとして、そういうことを周囲に迷惑と感じさせずにできる人というのも世の中には居る
ものだ。
さて、バスを降りて、駅の改札に向かった。すると、主婦数人が改札の前でつっ立って誰
かを待っているような素振りを見せていた。この駅の自動改札機は入口出口共通のレーン
がほとんどなので、電車がそれなりに来ると出る人で塞がって、入れるレーンがひとつだ
けになる。その前に陣どって、ボーっとしている。邪魔である。私は少し半身ぎみになり
ながらレーンに入ったが、それでもやっぱりボーっとつっ立ったままであった。このよう
に、迷惑になる人というのはえてして、ただ突っ立っているだけでも周囲に迷惑をかける。
スペースがいくらでもあるにもかかわらず、そこに立ったら迷惑だというところにピンポ
イントで立つのがこの手の人々の神懸り的なところ。
私には、この二種類の人種の違いがどこから生じるのかはっきりとしたことはわからない
のだが、どうも迷惑をかけるというのも一つの才能なんじゃないかという気がする。