2007/01/13 (土) 23:04:16 ◆ ▼ ◇ [qwerty] 拝啓。
一つだけ教えてください。困っているのです。
私はことし二十六歳です。生れたところは、青森市の寺町です。たぶんご存じ
ないでしょうが、寺町の清華寺の隣りに、トモヤという小さい花屋がありました。
わたしはそのトモヤの次男として生れたのです。青森の中学校を出て、それから
横浜の或る軍需工場の事務員になって、三年勤め、それから軍隊で四年間暮らし、
無条件降伏と同時に生れた土地へ帰って来ましたが、既に家は焼かれ、父と兄と
嫂と三人、その焼跡にあわれな小屋を建てて暮していました。母は、私の中学四
年の時に死んだのです。
さすがに私は、その焼け跡の小さい住宅にもぐり込むのは、父にも兄夫婦にも
気の毒で、父や兄とも相談の上、このAという青森市から二里ほど離れた海岸の
部落の三等郵便局に勤めることになったのです。この郵便局は、死んだ母の実家
で、局長さんは母の兄に当っているのです。ここに勤めてから、もうかれこれ一
箇年以上になりますが、日ましに自分がくだらないものになって行くような気が
して、実に困っているのです。
私があなたの小説を読みはじめたのは、横浜の軍需工場で事務員をしていた時
でした。「文体」という雑誌に載っていたあなたの短い小説を読んでから、それ
から、あなたの作品を捜して読む癖がついて、いろいろ読んでいるうちに、あな
たが私の中学校の先輩であり、またあなたは中学校時代に青森の寺町の豊田さん
のお宅にいらしたのだと言うことを知り、胸のつぶれる思いをしました。呉服屋
の豊田さんなら、私の家と同じ町内でしたから、私はよく知っているのです。先
代の太左衛門さんは、ふとっていらっしゃいましたから、太左衛門というお名前
もよく似合っていましたが、当代の太左衛門さんは、痩せてそうしてイキでいら
っしゃるから、羽左衛門さんとでもお呼びしたいようでした。でも、皆さんがい
いお方のようですね。こんどの空襲で豊田さんも全焼し、それに土蔵まで焼け落
ちたようで、お気の毒です。私はあなたが、あの豊田さんのお家にいらした事が
あるのだという事を知り、よっぽど当代の太左衛門さんにお願いして紹介状を書
いていただき、あなたをおたずねしようかと思いましたが、小心者ですから、た
だそれを空想してみるばかりで、実行の勇気はありませんでした。
そのうちに私は兵隊になって、千葉県の海岸の防備にまわされ、終戦までただ
もう毎日々々、穴掘りばかりやらされていましたが、それでもたまに半日でも休
暇があると町へ出て、あなたの作品を捜して読みました。そうして、あなたに手
紙を差し上げたくて、ペンを執ってみた事が何度あったか知れません。けれども、
拝啓、と書いて、それから、何と書いていいのやら、別段用事は無いのだし、そ
れに私はあなたにとってはまるで赤の他人なのだし、ペンを持ったままひとりで
当惑するばかりなのです。やがて、日本は無条件降伏という事になり、私も故郷
に帰り、Aの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行ったついでに、青森の本
屋をのぞき、あなたの作品を捜して、そうしてあなたも罹災して生まれた土地の
金木町に来ているという事を、あなたの作品に依って知り、再び胸のつぶれる思
いが致しました。それでも私は、あなたの御生家に突然たずねていく勇気は無く、
いろいろ考えた末、とにかく手紙を、書きしたためる事にしたのです。こんどは
私も、拝啓、と書いただけで途方に暮れるような事はないのです。なぜなら、こ
れは用事の手紙ですから。しかも火急の用事です。
教えていただきたい事があるのです。本当に、困っているのです。しかもこれ
は、私ひとりの問題でなく、他にもこれと似たような思いで悩んでいるひとがあ
るような気がしますから、私たちのために教えて下さい。横浜の工場にいた時も、
また軍隊にいたときも、あなたに手紙を出したい出したいと思い続け、いまやっ
とあなたに手紙を差し上げる、その最初の手紙がこのようなよろこびの少ない内
容のものになろうとは、まったく、思いも寄らない事でありました。
昭和二十年八月十五日正午に、私たちは兵舎の前の広場に整列させられて、そ
うして陛下みずからの御放送だという、ほとんど雑音に消されて何一つ聞きとれ
なかったラジオを聞かされ、そうして、それから、若い中尉がつかつかと壇上に
駈けあがって、「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し、降参を
したのだ。しかし、それは政治上のことだ。われわれ軍人は、あく迄も抗戦を続
け、最後には皆ひとり残らず自決して、以て大君におわびを申し上げる。自分は
もとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をして居れ。いいか。よし。
解散」 そう言って、その若い中尉は壇から降りて眼鏡をはずし、歩きながらぽ
たぽた涙を落しました。厳粛とは、あのような感じを言うのでしょうか。私はつ
っ立ったまま、あたりがもやもやと暗くなり、どこからともなく、つめたい風が
吹いて来て、そうして私のからだが自然に地の底へ沈んで行くように感じました。
死のうと思いました。死ぬのが本当だ、と思いました。前方の森がいやにひっ
そりして、漆黒に見えて、そのてっぺんから一むれの小鳥が一つまみの胡麻粒を
空中に投げたように、音もなく飛び立ちました。
ああ、その時です。背後の兵舎の方から、誰やら金槌で釘を打つ音が、幽かに、
トカトントンと聞えました。それを聞いたとたんに、眼から鱗が落ちるとはあん
な時の感じを言うのでしょうか、悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、私は憑きもの
から離れたように、きょろりとなり、なんともどうにも白々しい気持ちで、夏の
真昼の砂原を眺め見渡し、私には如何なる感慨も、何も一つも有りませんでした。
そうして私は、リュックサックにたくさんのものをつめ込んで、ぼんやり故郷
に帰還しました。
あの、遠くから聞こえてきた幽かな、金槌の音が、不思議なくらい綺麗に私か
らミリタリズムの幻影を剥ぎとってくれて、もう再び、あの悲壮らしい厳粛らし
い悪夢に酔わされるなんて事は絶対に無くなったようですが、しかしその小さい
音は、私の脳髄の金的を射貫いてしまったものか、それ以後げんざいまで続いて、
私は実に異様な、忌まわしい癲癇持ちみたいな男になりました。
と言っても決して、兇暴な発作などを起こすというわけではありません。その
反対です。何か物事に感激し、奮い立とうとすると、どこからとも無く、幽かに、
トカトントンとあの金槌の音が聞こえて来て、とたんに私はきょろりとなり、眼
前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純
白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、
ばからしい気持ちになるのです。
さいしょ、私は、この郵便局に来て、さあこれからは、何でも自由に好きな勉
強ができるのだ、まず一つ小説でも書いて、そうしてあなたのところへ送って読
んでいただこうと思い、郵便局の仕事のひまひまに、軍隊生活の追憶を書いてみ
たのですが、大いに努力して百枚ちかく書きすすめて、いよいよ今明日のうちに
完成だという秋の夕暮、局の仕事もすんで、銭湯へ行き、お湯にあたたまりなが
ら、今夜これから最後の章を書くにあたり、オネーギンの終章のような、あんな
ふうの華やかな悲しみの結び方にしようか、それともゴーゴリの「喧嘩噺」式の
絶望の終局にしようか、などひどい興奮でわくわくしながら、銭湯の高い天井か
らぶらさがっている裸電球の光を見上げた時、トカトントン、と遠くからあの金
槌の音が聞えたのです。とたんに、さっと浪がひいて、私はただ薄暗い湯槽の隅
で、じゃぼじゃぼお湯を掻きまわして動いている一個の裸形の男に過ぎなくなり
ました。