> 2007/01/25 (木) 05:54:23 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 大体そんな感じかな(;´Д`)
> > 過去は過去として存在するし未来は未来として存在するんだけど
> > 現在の一点からある一点に辿り着くには一定の物理的、時間的制約を受けるわけで
> > ありえない事はないが確立が低いって感じかな
> > ただ、ある一点から他の点に移った時点でそこが現在になるから一点に集約されるんだけど(;´Д`)
> > 図案化するなら投網の交差するところを存在点として紐の部分を物理的、時間的障害に見立てる
> > んでそれを立体に起こしてまん中をぎゅっと握ってその握った所が現在点って感じでした
> 俺も概ね同じ見解だな
> 思考実験は「今ありき」が原理であるべきだと思うよ
> 「現象ありき」とも言うがどちらも我々という個が起点なんだと思いたい
> 思考実験が俺が感じる「我」から遠くなる程に理解が困難になるのは俺の限界なのかもしれないね
> ガリレイでは無いが世が世なら俺が理解できない理論を唱えた人間を俺は生かしては置かなかっただろう
> 俺は自分が理解できる事だけを評価して重んじて生きてきたしきっとこの先もそうあんんだろう(;´Д`)
> 俺は淘汰されるよ
> そうであるべきだと感じる
> ヒトと言う種が今後万年を超えて残るとしたのならば俺の想像を超えたヒトの亜種だと思うよ
> それをストームやサイクロップスみたいなミュータントとは言わないが
> SFでは肉体と精神を分離出来る種が残るって意見は多いね
> 現実的に明日の昼飯に何を食うべきか今から考えている俺は淘汰されるな
そうそう(;´Д`)
つまり未来と過去はどちらも現在から発生する可能性としての存在であって
現在という時間的空間的一点がなければ存在し得ないって感じなんだ
漏れはこれが全ての存在の構図だと考えてたから
思考にいても「自分」から離れ過ぎた考え方や思考法法は理解出来なくは無いんだけど
理解するには障害が多いですよって事なんだと思う
ただ、一回その思考回路を辿った先の存在点は辿らなかった時の存在点とは別物になる訳だから
現在に集約された時には異なる思考方法を理解しやすくなってるんだけど
だから理解とは思考的に点から点に移動してる訳で困難であっても絶対に出来ないって物じゃないと思うんだ
未来においての人間像については受ける制約の可能性が多過ぎて良く判らないってのが本音だよな
どうにでもなるし
肉体と精神が分離するってのは現時点で一番可能性の有りそうな点を観測してるだけであって
将来的にどう転ぶかはわからないわけだし
参考:2007/01/25(木)05時37分22秒