> > 要するに解釈とは解釈者を取り巻く状況や伝統によって得られるものであるということだな > ああっ女神様はネギまのパクリという人もいるかもしれないということだな(´ー`) いるというのが問題なのではなく、いるかもと思えるということが両作品を何らかの方法で 結びつけさせる何かが解釈者の解釈にあるのであって、そう思えるということそのものが すでにその身をその周囲の状況に浸している証左だということだろう 参考:2005/05/22(日)02時50分12秒