> > 我々にとってたまごを四個挟むことの重要性とはその貨幣的流通の多寡ではなくむしろその意味、 > > 即ちその形而上的流通がディスクールとして形而下することによって我々を規定するということにあるのである。 > だれが文化論にもっていけといったよ? なぜならば流通とは我々と無関係なマティエールから抽象せられたものではなく、 まさに我々のコミュニカシオンを志向する力、志向的観念によって初めて成立つのである。 たまごを4個挟むことの経済性はまさにその経済性を問題とされた時に初めて経済的でありうるし、 たまごは4個挟むことに意味を見出された後に初めて我々に表象されるのである。 参考:2005/05/24(火)00時07分28秒