2007/04/14 (土) 03:52:19        [qwerty]
ついに始まったこの春の最大の話題作、京都アニメーション最新TVアニメ「らき☆すた」、

その特殊な作風ゆえに賛否両論が巻き起こっているのは周知の事実であるが、是も非もともかく一つの問題が浮かび上がる。

アニメ「らき☆すた」に対し難色を示し、挙句の果てに「京アニは終わった」「京アニにはがっかりした」などと言ってしまう輩は

「京アニが『らき☆すた』のTVアニメを手がける」と情報が出てから、放送までの間に原作コミックを買って読んだり、

原作に関しての情報を仕入れたりといった『行動』を一切していない人間だと言う事だ。

少なくとも原作を読んで「らき☆すたとはこういう作風の作品だ」と理解しておけば、アニメを見た上で京アニに対して

落胆などするはずもないどころか、全く逆に京アニがこれまでの作品同様こだわりを持って作っているかが容易に理解できる。
(読んでも理解できない人間は問題外)

それを一部の人間は「ハルヒ」という幻想に取り付かれ、勝手に期待し、落胆した。実に愚かである。

一歩でも足を前に動かせばこんな憐れな事にはならなかったのに、動かず、座したままでいた上に、口を尖らせる。

情報公開からずっと「なぜ京アニが萌え4コママンガの『らき☆すた』なのか?」という疑問があったが、

「大ヒット作」の後遺症として生まれる、こう言う種の人間の目を覚まさせるための「らき☆すた」なのかもしれない。

だからと言って「エヴァ」の後の「彼氏彼女の事情」のように奇抜な事はせず、全力を持って「らき☆すた」を作っている事が

京都アニメーションが絶対的な支持を得る理由なのは誰の目にも明らかだろう