小倉侍従日記によって見ても、天皇が戦争初期(日中戦争)は悩み苦しみつつなんとか 戦争のこれ以上の拡大は食いとめようと努力していたことはわかる。しかし途中から 天皇の気持ちが変わってしまう。 「戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ。また行はざるを得ぬ」 と考えるようになったからである。 そして、1941年12月8日、太平洋戦争が、ハワイの真珠湾攻撃とマレー沖海戦の大勝利で はじまり、その後も年内は勝ち戦をつづけていく過程で、天皇も急に楽観論に転じてしまうのである。 12月25日の記述にこうある。 「常侍官出御の際、平和克服後は南洋を見たし、日本の領土となる処なれば支障なからむなど 仰せありたり」 天皇はもう戦争に勝ったつもりになっているのだ。平和になったら日本の領土になった南洋を 視察に行きたいなどといいだしているのだ。 日本人全体がこの当時、緒戦の勝利に酔って浮かれていたのだが、天皇もまた浮かれていた ということなのだろう。