2007/06/26 (火) 13:31:05 ◆ ▼ ◇ [qwerty]自己解決した(;´Д`)恵施だ
断片的に残されている彼の考え方をいくつかここで紹介してみよう。(「荘子」・天下篇」)
「至大にして外は無し。これを大一という。至小にして内は無し。これを小一という」
(これは究極の大きさ(大宇宙)をまず設定してみせている。
同時に極小の素粒子世界をも想定している。
その認識眼をはっきりと宣言しているようにとれる。)
「厚さ無きものは積むべからざるも、その大きさは千里なり」
(極薄のもののうちにも、相対的な厚さをみる超ミクロの視点があるというこの発想がとにかくすごい。)
「天と地は卑く、山と沢は平らかなり」
(天地を大きく俯瞰して視るということであろうか。
これもマクロ的というか観察眼のスケールが大きい。)
「われ天下の中央を知る。燕の北、越の南、これなり」
(超絶の空間認識というべきか。)
「南方は窮まりなくして、窮まりあり」
(これはまた際だった地理・方向・距離観の設定であろうか。)
「今日越に適く。しかも昔来る」
(これは目的意識の遂行と、
その発生成就した時点での相対的時間を明確に意識することを示している。
このような凝縮した時間の概念を持つこと自体おもしろい。)
「連環は解くべし」
(どう考えても連環は解けるはずがないものである。
そうした絶対的認識があるからこそ、
連環は限りなく解かれるべきものとして存在するという、
そうしたパラドックス的発想がここにはある。)
全然意味が分からないな(;´Д`)
ネットでなんでも調べられると錯覚してたけど
結構有名じゃないことについては疎いみたいだなぁ