「ロボット」ってアシモフの解釈だと「理想の労働者」だけど そもそも概念を起草したカレル・チャペックは「理想の人間」 というような解釈だったんだよね 「宇宙船レッド・ドワーフ号」でロボットが死ぬと 自分たちはシリコン・ヘヴンへ行って人間に遣えた報われない一生から救われる と信じてるのを滑稽に哀しく描いてるんだが ホントは人間が自分たちが足りないものがあるのを知ってて それを補うための理想的な人間を人形に写したのがロボットなんだよね だからちいとかマルチとか本当はヒューマニスティックでカレル・チャペック的な 本来の「理想のロボット感」に近いはず…だから間違ってない