>  2005/06/05 (日) 03:43:43        [qwerty]
> > そういう意味ではなくて、カフカの小説はおおよそ無目的なものに対して感じる人間の不安を
> > 描いているのだから、極めて開明的で啓蒙的じゃないか
> 読み手が勝手に後付けしてるだけだ

趣味判断というのは主観的だが全く恣意的ではない
それが物自体にあるにしろ人間の観念の先験的形式によるにしろ、
超越論的に一定の形が与えられているものだ
つまり、物語全般はそこに何らかの帰結が存在するとみなされて初めて存在するものだが、
その存在の根拠として、例えば外部には「本」といった物質的限定によって、
例えば内部には単語一つ一つにまでわたる語法によって、正しい結論としての
(作者の)意図が存在すると考えられるし考えられざるをえないわけだ

参考:2005/06/05(日)03時36分30秒