> 2007/10/31 (水) 05:00:22 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 創業は宝暦二年(1752年)当主下田幸三郎が六代目藩主細川重賢より酒造株を拝受し酒造りが始まりました。
> > 美少年酒造株式会社は代表取締役社長緒方直明(五代目)の曽祖父緒方(初代)求太郎22歳の時、
> > 下田家より分家し本家から授かり明治12年(1879)美少年酒造の原点となる蔵元『緒方酒造店』として
> > 創業しました。
> > さて銘酒美少年の名の由来は二代目緒方求太郎が命名しました。
> > 彼はたいへん博学で芸術志向の高い人物で杜甫の詩をこよなく愛し『飲中八仙歌(いんちゅうはっせんか)』
> > に詠われた愛酒家催宗之(さいのそうし)を讃える一節に『美少年』の銘をおもいついたのです。
> > 『宗之(そうし)は瀟洒(しょうしゃ)たる美少年、盃をあけて白眼晴天を望めば、皎(きょう)として玉樹の風の前に臨むがごとし』
> > 意味:催宗之はさっぱりとした美少年、盃をあげて白眼で晴天を望めば、色白で玉樹が風に吹かれているようである
> > 大正9年(1920)には美少年酒造株式会社の母体となる南薫酒造株式会社を設立し、銘酒『美少年』を売り出しました。
> > その二代目求太郎の時太平洋戦争が勃発し、昭和20年(1945)8月10日、隈庄も大空襲を受け、
> > 邸宅・社屋とも全焼しました。二代目求太郎は家業再興だけでなく地元復興のために尽力し
> > 昭和21年(1946)三代目緒方球也(きゅうや)へ使命を託し永眠しました。
> > 三代目球也は昭和21年(1946)社長に就任し、戦後の激動の時代を乗り越えるべく本業はもとより
> > 熊本県酒造業界の整備委員長、食料供給用の国策工場の設立、戦廃機材利用の金属加工会社など
> > 各方面においても戦後復興に貢献していきました。
> > その激務をささえたのが8歳違いの弟で四代目正資(せいし)でした。
> > 昭和25年(1950)社名を新しく美少年酒造と改名。昭和33年(1958)には年間を通じての醸造設備を導入し、
> > 昭和40年頃までに地元6社の酒蔵を吸収合併しています。
> > 昭和43年(1968)清酒ブームが最高潮に達した時、美少年酒造は過去最高の24,000石を製造します。
> > 破竹の勢いで伸びる業績と緒方兄弟の人望によって、ホテル経営、外食チェーン展開、
> > ゴルフ場経営と多角的企業として成長しました。
> > 昭和45年(1970)外食チェーン部門を任された五代目緒方直明氏は美少年酒蔵の拡販を含めた
> > 新しいマーケットに挑戦し九州主要都市に直営店を展開しています。
> > 本業の酒造業においては熊本酵母を使った吟醸酒のリリース。
> > 平成8年(1993)には幻の酒米『神力(しんりき)』を復活。
> > 近年では海外においてモンドセレクションでゴールドメダルを7年連続受賞、
> > 全国新酒鑑評会3年連続金賞と高い評価を得て、フランスなどヨーロッパへの輸出が拡大しています。
> 美少女とか美幼女という銘柄を立ち上げてはどうだろうか
折角だから美老女とか美熟女とか美中年とか美老年も欲しいな(;´Д`)
参考:2007/10/31(水)04時59分25秒