>  2005/06/11 (土) 00:20:14        [qwerty]
> > こっちは吹いた(;´Д`)
> > 
> >  南泉の弟子たちが、一匹の猫をはさんで
> > 「これはわれわれの猫だ」「いや、こちらの猫だ」と言い争っていた。
> >  そこへ現れた南泉和尚は、猫の首をつかむと、それを突き出していった。
> > 「いまこのときに、仏の道にかなう言葉を発すれば猫は斬らない。さもなければ、この猫は斬って捨てる。さあ、どうだ!」
> >  だが、だれも答えられる者はなかったので、猫を切り捨ててしまった。
> >  夕刻になり高弟の趙州が帰ってくると、お前ならどう答えたかと迫った。
> >  すると趙州は、履いていた草履を頭に乗せ、すーっと部屋を出ていった。
> > 「ああ、お前がいたならば、ワシも猫を斬らずにすんだのに・・・」
> >  南泉は、そういって非常に残念がった。
> どっちもわからない漏れに解説キボリ(;´Д`)

先ず仏道に叶う言葉など弟子風情が吐けるわけがないので何か言葉を発したら猫惨殺
だからといって何も言葉を発しなければ猫を見殺しにするという事であるのでそれも仏道に叶っておらず猫惨殺
最後の趙州が何故評価されたかというと吐けるはずのない言葉を吐かず
かといって黙ることで猫を見殺しにするでもなく「行動をした」という部分が一点
もう一点はそういった不可能情況においてそれを回避する策は一つであり
それはつまり「そのような状況に陥らない事」である
趙州の行動「頭に草履を載せて去る」というのは
自分がその場に赴くに履いてきた草履を頭に載せ無効化した上で「去る」ので
ありこれはその場に「自分がいなかったことにする」という意思の表明である
そこに誰もいなければ猫を巡る諍いも起きずまたそれによる猫の惨殺も起きなかったと
つまりそういうことだよ

参考:2005/06/11(土)00時10分16秒