2007/11/26 (月) 00:22:18        [qwerty]
私がまだ実家にいた時の話です。

実家は父、母、兄2人と私、祖父の6人家族でした。
家は小さく、本当に人が住んでるの?と思うようなボロボロの家で、
まさに貧乏家族でした。
ただ、両親や祖父が子供達に心配かけまいと、お正月やクリスマス、
誕生日会、十五夜などはたくさんの料理を振舞ってくれました。
両親や祖父は、自宅に遊びに来た友達にも明るく振舞ってくれて、

「私もこんなお家の子になりたいな」

と言われた事もありました。

月日は流れ、兄2人は就職で県外へ、両親は共働きで帰りは夜中。
私は高校生になり、バイトを始めたため、帰りは夜遅くなることもありました。
家には祖父が一人きりでいることが多くなりました。

ちょうど暑かった夏が終わり、外が寒くなり始めた秋のことです。
私がバイトから帰ってくると

祖父「おかえりー。寒くなかったかい」

と出迎えてくれましたが、当時私はちょっとのことでも苛立ってしまい
祖父の出迎えさえも煩わしいと感じていました。

私「なんで起きてるの?さっさと寝なって・・・。」
祖父「そうだねぇ・・・。寝ようかな。」

祖父が布団に入ったのを確認し、私は台所で自分の夕飯の支度をしていると
また祖父が話しかけてきました。

祖父「50円、貰えないかな・・・」

祖父は年金を一時期払っておらず、年金を貰うことが出来ませんでした。
時々私に言ってきてはお金をあげていました。
その日ばかりは「自分のためにバイトしてるのに・・・!」と思い

私「そんなのお父さんとお母さんに言ってよ!!!」

と怒鳴りました。

祖父「・・・そうだね。ごめんね。おやすみ。」

この時は「なんで家はこんなに貧乏なんだろう・・・」
と悔しく思った覚えがあります。
しばらくこんな日が続いたある日、その日はバイトが忙しく、帰りが
夜の11時ぐらいでした。さすがにもう寝てるだろうと思い家に帰ると

祖父「お帰り~。遅かったねぇ。」
私「な・・・なんで起きてるの!?もう夜中だよ!?」
祖父「いや・・・違うの。今日は違うの。」

祖父は怒った私をなだめるように言いましたが、もういらいらが
とまらずに

私「いい加減にしてよ!!またお金!?この間あげたばっかりじゃんっ!!」
祖父「・・・・」

祖父は何かを言っていましたがもう分かりませんでした。
私は家に上がるなり、走って布団に潜り泣きじゃくっていました。
なんで私ばっかりに言うの?そればかりが頭の中に渦巻いていました。

しばらくして祖父が申し訳なさそうに

祖父「・・・ごめんなぁ。じーちゃん、お前とお月見したかったんだ。」

それだけを言って去っていきました。
ふと我に返って台所へ行くとそこには、ふかしたサツマイモ1本とお団子が2本。
花瓶にススキがさしてありました。まさかと思い、祖父の所に行きました。

私「じーちゃん。もしかして、これの為に?」
祖父「・・・ごめんなぁ。じーちゃんお金貰えないからなぁ。」

私は申し訳なさと、自分の醜さに泣いてしまいました。

私「ごめんね・・・ごめんじーちゃん。ほんっとごめん・・・。」
祖父「なにも、お前が泣くことじゃないの。な。な。」

その日は夜遅いこともあり、次の日バイトを休んで自宅で
祖父と2人でお月見をしました。2人だけなのにとてもとても楽しかった
覚えがあります。



それから私は東京へ就職、恋人が出来てまもなく結婚というところでしたが
花嫁姿を見せることを出来ずに、祖父が他界してしまいました。
両親から聞かされた話では、兄弟3人とも県外にいて、みんな「お帰り」は言ってもらえてるのか?
一人で寂しい思いしてないかと、ずっとずっと心配していたそうです。


私には2人の子供が出来ました。もちろん裕福ではありませんが、
クリスマスやお正月、そしてお月見は欠かしたことはありません。
そして、これからも「お帰り」を守っていきたいです。