>  2007/12/27 (木) 01:05:59        [qwerty]
> > 聖なる狂気を知る者は幸いじゃ。彼はみずからを殺すことによって、みずから
> > を救うからじゃ。聖なる狂気を知らぬ者は禍いじゃ。彼は、みずからを殺しも
> > 生かしもせぬことによって、徐々に亡びるからじゃ。愛するとは、より高貴な
> > 理解のしかた。行なうとは、より明確な思索のしかたであると知れ。何事も意
> > 識の毒汁の中に浸さずにはいられぬ憐れな空白よ。我々の運命を決定する大き
> > な変化は、みんな我々の意識を伴わずに行なわれるのだぞ。考えてもみよ。お
> > 前が生まれたとき、お前はそれを意識しておったか?
> 唐突にポエム貼られてもね(;´Д`)

空白よ、諦かに、わが言葉を聴いて、よくこれを思念せよ。身の程知らずの空
白よ。いまだ得ざるを得たりといいいまだ証(あかし)せざるを証せりと言う
のをさえ、世尊はこれを増上慢とて難ぜられた。さすれば、証すべからざるこ
とを証せんと求めた爾のごときは、これを至極の増上慢といわずしてなんとい
おうぞ。爾の求むるところは、阿羅漢も辟支仏もいまだ求むる能わず、また求
めんともせざるところじゃ。哀れな空白よ。いかにして爾の魂はかくもあさま
しき迷路に入ったぞ。正観を得れば浄業たちどころに成るべきに、爾、心相羸
劣にして邪観に陥り、今この三途無量の苦悩に遭う。惟うに、爾は観想によっ
て救わるべくもないがゆえに、これよりのちは、一切の思念を棄て、ただただ
身を働かすことによってみずからを救おうと心がけるがよい。時とは人の作用
の謂じゃ。世界は、概観によるときは無意味のごとくなれども、その細部に直
接働きかけるときはじめて無限の意味を有つのじゃ。空白よ。まずふさわしき
場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打込め。身の程知らぬ『何故』は、向
後一切打捨てることじゃ。これをよそにして、爾の救いはないぞ。

参考:2007/12/27(木)00時59分50秒