> 2008/02/04 (月) 22:54:36 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > そうだろうなぁと思うよ
> > なんつーかまず、貴殿の言うように過去にたくさんでまくって飽きられた。
> > 2番目は、ユーザーの求めるものがハンコ顔、でかいオッパイ、声優といったものに
> > なってしまったんだ。オーガストとかがいい例。
> > 3番目、世紀末のどうなってしまうかわからない息苦しさと、閉塞感が、新世紀に
> > 入って失われてしまったためじゃないか?
> > あの頃苦しんでいた若者はみんなどこかで、世紀末に何かが起こってこの世が変わる
> > ものだと思えたじゃないか。そう信じていた人は電波だけだが、みんなどこかで
> > そういう心の隙間を持てたんじゃないかな。
> > 21世紀になって、何も起こらなくて、あれほど憎んでいた日常がいつまでも
> > 続いていくものだと知って俺たち若者は絶望したんじゃなかったか?
> > 世界の終わりに何かが起こって救われることはなく、自分も回りのオヤジたちと
> > 同じように薄汚くなって、周囲の年寄りたちと同じように老いる
> > 病気もするし、独身でいつづけるならそれも不安の種だ。
> > そういう日常と戦うことを放棄して、オーガスト的なものに収束していったのが
> > 2001年以降なんじゃないかな(;´Д`)
> 三番目の意見には概ね同意だな(;´Д`)
> 断ち切られるように終わることもなく変わることもなく
> ただ夢も希望もなく枯れていくことしか出来ないことを思い知らされたんだろうな
> そして枯れる前の青葉の頃を恒久的に味わうための題材にニーズが向かったと
> それが即ち貴殿の言うオーガスト的なものなのかもしれんね
単におっさんになっただけじゃん
参考:2008/02/04(月)22時52分59秒