2008/02/16 (土) 20:04:16 ◆ ▼ ◇ [qwerty]ずいぶん前から漫画というものをほとんど買わなくなっていた。
昔の自分なら表紙の絵が気に入ったという理由だけで漫画を買っていたのに、今やナルトと鋼の錬金術師だけ。
その2作品ももういいかなとか、思い始めていた。
実際ナルトの最新刊が出ているのに気付いていながら買おうと思えなかった。
1年前くらいからアニメもほとんど見なくなっていた。
今見ているのは俗・絶望先生だけ。
夏コミの申込が迫り何で申し込もうかと思案してみても、
見ているアニメが絶望先生だけなので選択肢はないという結論が出た。
自分で同人誌を描いてるくせに、人の同人誌を買うことなんてここ数年間ほとんどなかった。
人の買った同人誌を読んで面白いと思っても、なぜか自分で買う気にはなれなかった。
そしてそんな自分が同人誌を描いて書店委託までしていることに、違和感と申し訳なさを感じていた。
最近やってたことといえば、連日会社帰りにパチンコ屋でスロットを打つことくらい。
もう自分はオタクじゃないのかもと思い始めていたし、まあそれならそれでいいかとも思うようになっていた。
そろそろ30歳になるし、みんなこうやって卒業していくのかなと漠然と思った。
それでも同居人のやる気に感化され、同人誌制作だけは続けていた。
ただ単に負けたくないと思っただけなのかもしれない。
けれど、こんな気持ちで描いている同人誌は本当に同人誌と呼べるのか疑問だったし、どこか後ろめたさも感じていた。
極端な言い方をすれば、自分は同人活動をする資格がないのではないかと。
実際には資格などというものはないのだとわかっていても。
だから、同人活動を続けるなら、このままじゃいけない。なんとかしなくては。と思った。
そんなことを考えていたからか、連休明けだというのに朝から気分が乗らなかった。
だから体調不良ということにして休んだ。社会人としては駄目駄目だ。
それで何をやっていたかというと、トイザらスでDS Liteとゲームを買って遊んでいた。
本当に社会人として駄目だとは思う。
それから絶望先生本のネームを考えてた。
思いのほかスラスラとセリフが頭に浮かぶし楽しい。
これは紛れもなく同人活動だと思ったけれど、やはりまだ何か足りない。
昼飯を外食で済ませふと立ち寄った本屋で、漫画を適当に10冊ほど買ってみた。
パチスロで負けたと思えば5千円なんてどうでもいいなと、ただそれだけの気まぐれだ。
その中にREX COMICSの「かんなぎ」という漫画があった。
最近は漫画を読むのに苦手意識さえ覚えていたのに, その漫画を読みだしたら止まらなかった。
別に他の漫画より格段に優れているとか、そういうことはなかったと思う。
ただ線がすっきりしていて絵が好みで、ギャグとシリアスのバランスが心地よくて、
キャラクターのノリが好きで、ざんげちゃんが好みで(黒髪ロングに弱いので)。
ネットで調べてみたらアニメ化が決定しているらしい。
監督が山本寛で脚本が倉田英之。期待が膨らんだ。いつアニメ化するのか気になったので調べたけれど、
2008年ということしかわからないでヤキモキした。早い時期なら夏コミではかんなぎ本を出したいと思った。
本屋に並んでた3巻まで読んだけど、ちょうど2月9日に4巻が出てると知って、急いで別の本屋に行った。
本屋からの帰り道。自分のいまの行動を思い返してみて初めて気づいた。
「ああそうか。これがオタクっていうことなんだな」と。
そう思ったら涙が出てきた。よくわからない感情だ。
悲しいとか嬉しいとかそういうはっきりしたものじゃなくて、色々な感情が一度に押し寄せてくる感覚。
そして今、この文章を書いている。
よかったのか悪かったのかわからないが、自分がオタクに復帰したことを認識した証拠として。
きっと後から読み返したら恥ずかしくなって消し去りたくなる文章だと思う。
でも今は、オタクの世界に繋ぎとめていてくれた絶望先生と、
オタクの世界に引き戻してくれたかんなぎという2つの作品にただ感謝をしたい。