>  2005/06/19 (日) 03:19:49        [qwerty]
> > 記号が記号として認識され得るためには記号が記号であるという認識が前提とされているんじゃないかい?ヽ(´ー`)ノ
> > だとすると記号に騙されるってのは、別に騙されているわけではなくて実は実に誠実な
> > 物語解釈を行っているという謹厳な態度なんじゃないのかい?ヽ(´ー`)ノ
> そのとおりだよ
> しかしそれを見せるだけで見せられる人をコントロールできてしまうとき
> それを分かりきって記号を貼り付けてコントロールする行為は
> 便宜上、騙すといってもそんなにおかしくないと思うさ(ノー`)

読解において作品や作者の意図から完全に解放されてしまった場合なおそこには一体何が残るんだろう?ヽ(´ー`)ノ
人は例えば文字テクストにおいてある人称代名詞がなにを指しなぜそれが固有名詞ではなく代名詞なのかという
判断を作品や作者の意図に沿って初めて判断するのだしアニメーションにしたって明らかに人間の動きをなしておらず
現実のどこを探したってそのような人がいないにも関わらずそれが人間を表現しているとみなすのは作品や作者の意図を
読み取ろうとし作者もまた表現しようとする限りにおいてなのであって、そのことによって初めてテクストに意味が成立
するのだから、どちらかが騙しているだとか騙されているだとかの話ではなくむしろ純粋な共同作業のように思えるんだけどヽ(´ー`)ノ

参考:2005/06/19(日)03時11分23秒