> 2005/06/19 (日) 04:06:51 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 読解において作品や作者の意図から完全に解放されてしまった場合なおそこには一体何が残るんだろう?ヽ(´ー`)ノ
> > 人は例えば文字テクストにおいてある人称代名詞がなにを指しなぜそれが固有名詞ではなく代名詞なのかという
> > 判断を作品や作者の意図に沿って初めて判断するのだしアニメーションにしたって明らかに人間の動きをなしておらず
> > 現実のどこを探したってそのような人がいないにも関わらずそれが人間を表現しているとみなすのは作品や作者の意図を
> > 読み取ろうとし作者もまた表現しようとする限りにおいてなのであって、そのことによって初めてテクストに意味が成立
> > するのだから、どちらかが騙しているだとか騙されているだとかの話ではなくむしろ純粋な共同作業のように思えるんだけどヽ(´ー`)ノ
>
> 読解において作品や作者の意図から完全に開放されてしまうような極端な条件付けを漏れはしていないはずさ(´ー`)
> しかし貴殿が言っているのは全てそうした意図を開放してしまったような極端なことだ
> 女性の写真が表紙にある本とそうでない本があれば前者を男性が買ってしまいがちという実験的事実や
> アニメ作品に特定の人たちがハマりやすい何かを仕込んでおけばそれにハマりやすい人が
> それにひきつけられがちであることを言ったんだ
> ただの類型的な展開のアニメに何かゴスとかロリとかそういうのがあった場合
> それが好きな人が買ってしまうことを言っているよ
> 全てのことはそうした共同作業によるだろうことは間違いない
> しかしそういう基本的な、根源的なことの上でやっぱり漏れらは詐欺があると見るし
> 詐欺師を見る。
> 詐欺師のやったことを詐欺と呼ぶのは純粋にふたつの意図の共同作業というだけではないよね?
> 詐欺が行われる現場では読ませようとする意図があり、読もうとする意図があり
> その共同作業があるのは間違いない。でもそれでも騙す騙されると言うことはある
> 騙す騙されるというのはまた別の基準による話ではないのかな
> それをどう呼ぶか、また呼ぶ際にどのような基準を採用するかを言っているのであって
> そんな根本的な話をしているのではないよ(´ー`)
なぜ女性の写真があると男性が買ってしまいがちなのかというと助成の写真がある本は
女性の写真を欲する男性に対して作者や作品が投げかけられているといった意図をもっていると
読者が解するからであるよね?ヽ(´ー`)ノこの時点で作者や作品は男性に向けてアピールしているし
読者はアピールされていると解釈しているのだから騙すだのなんだのといった話は入る余地がないと思うけど?ヽ(´ー`)ノ
それは例えば歴史小説で「徳川家康」という名前が書いてあったらそれは歴史上の徳川家康という人物を
指していると作者は意図しているのだし読者もそのように意図しているのだろうと解釈して読むという、
極めて日常的で自然な行為となんら変わりがなさそうだけどヽ(´ー`)ノ
参考:2005/06/19(日)03時53分15秒