> 2005/06/19 (日) 06:08:26 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > >つうかさ、人がまず何かを認識している時点ですでにテクスト化され解釈されてるってことでしょう
> > しかしそこにはテクスト化のプロセスがあることは否定していないのだよね?(´ー`)
> > あるテクストとその外があるといったのは貴殿ではなかったのかな
> > そして世界とは記号のことですよ、といい全てを単一のテクストとして
> > 取り扱える可能性を提示したのも貴殿
> > 別のテクストがあり、内外が分けられることを貴殿は言っているじゃないか
> > また、テクスト単体で扱う云々を言っていることから、別に取り扱うことも可能
> > (あるいはある程度は可能)であると言っているのも貴殿だ
> > テクストの外があるということは、それとは別個に取り扱われる可能性があることを言っている
> > また、貴殿は、別途一緒のテクストで扱われる可能性もいっている
> > どうやらこの一緒に扱われるようになることもテクスト化されることと言っている
> > > > 全然すっ飛ばして「テクスト化されてるでしょう」というのはただの詭弁ではないのかな(´ー`)
> > その文脈に乗って書いているつもりだが気に入らないなら謝らせておくれ
> > > > 映画を見るときに突込みがないというのはおかしな話だよ
> > 反応は明らかにあるし、それに影響されない人はいない
> > 周囲で泣いている観客がいれば、キモいと思おうがもらい泣きしようが
> > 影響を受けないことはない
> > コンサート、特にアニオタの声優コンサートならば相互の関係は絶対にある
> > >まず文章を読むときは一つ一つの単語の意味を理解し全体を何度も読んで正しく理解した上で相手に発言するようにしようよヽ(´ー`)ノ
> > それは漏れも言わせてくれるととてもうれしいな(ノー`)
> 物自体があったとしても人間にとっての世界とは人間の悟性の形式によって成立した現象界だけでしょヽ(´ー`)ノ
> テクスト化の外部がどうたらという話をすると懐疑論や実在論にまで踏み込まなくちゃいけないんだけどヽ(´ー`)ノ
> 物自体が存在しそこにプロセスがあったとしてもそれは人間にとっておそらく触れ得ない
> 存在であるし触れ得ない存在であるかどうかという議論も含めて今この場でそれについて
> 語る必要は全くないと思うんだけどヽ(´ー`)ノ要するに例えば君生きているということは
> 事実としてあるんであって、なぜ君が生きているのかと問う必要はこの場合ないでしょと言ってるの
> つーかテクストの内外が分けられるなんていってないしヽ(´ー`)ノ意図の表象としてのテクストを
> 問題としているのであって意図と意図のやり取りは問題にしてないで書って言ってるのヽ(´ー`)ノ
> いちいちうるさいからついでに書いとくと当然意図そのものもテクストになりうるよヽ(´ー`)ノ
> で映画の反応は個人的な反応で映画館であろうがなかろうが泣いたりするレベルだろヽ(´ー`)ノ
> しかもコンサートなんてあるのは当たり前じゃんヽ(´ー`)ノあんなのはみんなで一体となって
> 盛り上がってなんぼなんだからヽ(´ー`)ノ映画とは全く違うだろっつーか、もしかしてほんとにおばかさん?
>物自体があったとしても人間にとっての世界とは人間の悟性の形式によって成立した現象界だけでしょヽ(´ー`)ノ
>テクスト化の外部がどうたらという話をすると懐疑論や実在論にまで踏み込まなくちゃいけないんだけどヽ(´ー`)ノ
>物自体が存在しそこにプロセスがあったとしてもそれは人間にとっておそらく触れ得ない
ご立派なお話は聞いていてとてもありがたいのだけれど
そんな話はしていないのではないかい?(´ー`)
もちろん、今貴殿が書いたような物自体、懐疑論、実在論等の話は重大だろうね
しかしここでは貴殿が自ら語ってしまったテキストの限定、またはそれが可能か否か
ということを言っているよ
ともあれそのややこしい話は部分的には関係があるけれど、殆ど勘違いだと思う
自分が書いたことを忘れるには貴殿は賢すぎるだろうから
わざと外しているのではないかと危惧するよ(´ー`)
>問題としているのであって意図と意図のやり取りは問題にしてないで書って言ってるのヽ(´ー`)ノ
それにそれは勝手に貴殿が言い出したことだよ
漏れはあまり意味がないからそれはやめたらいいのにとさっきから言っているのに
>つーかテクストの内外が分けられるなんていってないしヽ(´ー`)ノ意図の表象としてのテクストを
>問題としているのであって意図と意図のやり取りは問題にしてないで書って言ってるのヽ(´ー`)ノ
それは貴殿の思い込みだろう(´ー`)
さっきから意味がないしあまりにも現実と異なるといっているのに
意図自体がテクストになりうるとしてもそれは大したことじゃないだろう?
またテクストの分割というのがおかしいなら言い方を変えてもいいよ
これは貴殿が言った「意思の表象としてのテクストを問題としているのであって」
をそれだけを題材とする、あるいはそこに焦点を合わせて他をある程度捨象してみる
ということを言っていると見てよいのだよね?
だとしたら、それは他の影響が無視しうるような何らかのテクストの範囲を
設定しうることを意味するはずだ。そしてそれは、分割と読んで差し支えのないものであるはずだ。
それを言っているんだよ。
かつ、一度そのようになったものを、一緒に取り扱うことも可能である
ということをテクスト化のプロセスと呼んでみた。ただしこれはきっと正規の使い方ではないのだろう。
映画で泣いたりするレベルというけれど
タイミング、泣き声の音量等は十分に重大な意味を持つよ
きっと鈍感な人なんだろうね(´ー`)そんな人がどうしてテクストを語るのか分からない
コンサートはそれと傾向や程度が違うくらいだとしか俺には思えないよ
コンサートを特別視しすぎているのではないのかな(´ー`)
それにアニメをみんなで見るのがキモーイとしても
コンサートで一人でちじこまっていてキモーイとしても
そうしておかしい謂れはないよ
キモーイとしても結果的に成立してしまった読解じゃないかね
参考:2005/06/19(日)05時49分29秒