2008/05/05 (月) 02:09:43 ◆ ▼ ◇ [qwerty]独自に哲学がまず自己組織化の問題であろうと欲する。分断された身体がその
ひとつとして驚愕に値し、特定共時的にカント的実践もおそらく近代的自我と
名付けられるほどにまたリジッドなハイアラーキーの中で発達する。言語は理
性批判の方策を提供する必要があるが、それら相互の関係においてマルクス主
義的である以上、成立せず、有り得ない事ではないと断定することは避けるべ
きだ。極限の荒野において現象が唯物史観から逸脱するという事であり知の全
体性は確かに人間諸科学の基礎となるかの如く常識的に自壊する。権力はそれ
によって明示され、永劫回帰は黙殺されるとはいえ左翼的な反省のポーズから
分離するとしても力への意志だけがそれこそ理論に作用しているものだった。
形相でさえゼロ記号として境界を脱構築するなどエピステモロジークにカリス
マ的指導者を求めており、依然として容認されるものの決定論者の如く明確な
暴力性であるかもしれない。同質化がこれらの実践を通して安定するならば生
産活動のために無意識を黙殺している。自己言及的な批判も魔術から解放され
る事もあり容易に推察され、差延化し、事物と概念の関係は元々解体するとさ
れるが存在するのである。
異質性がそれを語る事ができないのではなく支配的な社会階層において辛苦で
あると言える。そのナルシスティックな言い回しは没意味的な文献実証主義に
陥る。それに対して戦争機械はメトニミー的であるのと同様に器官なき身体が
規格化に変化し、もちろんディレンマは他方で結合価を担う時、説明できない
というのは誤りだ。啓蒙の弁証法は顕在的に物々しく、再び楽園から追放さ
れ、次第に自己同一性に還元され、歴史的意識だけが見る事ができないのでは
ないがキリスト教的な良心が消滅するのは当然である。組織化されて認識の客
観性は即座に混沌へと引き戻され、ある程度まで蕩尽の概念が長きに渡り失意
と絶望にまみれて死ぬし、理論的ゲヴァルトすら反省的に排他的であるからこ
そあまねく言述的事象が放棄される。哲学的主体は過誤であると言えるが、換
言すれば社会的合理化も単純化された事象からの逃走であるように演技するか
らには認識の表層でエクリチュールは燃え尽きるらしいが、繰り返し象徴的価
値を肯定する。法の概念は規範意識の仮面を被る。形而上学批判はその深淵に
至るまでパラドクスである必要があるが、政治の観念を絶望視するとは言えず
いわば経験でさえ現在のところ無駄なものに見え、永久に滅亡する場合、思考
様式の中でこうして同一性を保持し得ない。
知の系譜学が領域侵犯を構成し、排除されるのであればここに至ってその無力
化がタクシノミー的に根源性と癒着するのでありいずれにせよ倫理的合理化と
される。比較的多数にとって聖なるものだけが価値の体系を維持する事だから
少なくとも恐ろしい。破棄すべき程度に自然はディオニュソス的な祝祭の中で
淘汰されるとしてもパロールは全く正義を宣言し執行する暴力を暗示するもの
のファシズムが存在しない。ディスクールの実践は堕落するとは信じがたい。
主体そのものは汚染され、自動的に持続的に行動からの脱却を試みるべきでは
なく、理性批判の方策を提供すると断定することは避けるべきだ。主権も再生
産され、発達し、微分的に象徴的儀式であるという事だろう。差異すら瞬く間
に引き裂かれるはずだ。主体なき意志でさえ衝動ではないとしか言いようがな
いが主観的に原理的なものとしてアウラ的な力を有するのではなくつまりそれ
らの中では社会的基盤の所産であるが、両義性は驚愕に値する。
難解バカボンで29歳新卒の為に志望動機を書いてあげたよ(;´Д`)