2000/08/13 (日) 19:01:31 ▼ ◇ [mirai] ここで前述の角田氏は自衛隊機の誘導があったのではないかと見ている。そして自衛隊機の誘導に何か隠さなけ
ればならない理由があり、だからこそボイスレコーダーは非公開なのではないかと疑っている。参考として、ここにその
一部分を紹介する。
無線交信が少なかった理由を自衛隊機の誘導があったのではないかとする一部分(角田四郎著「疑惑」早稲田出版
社より引用)
私はすでに大月付近のキャンプ場で事故機目撃の2~3分後に、自衛隊機2機を目撃したと書き記した。事故機の
目撃は18時42分頃~43分頃と推定できるので、自衛隊の戦闘機2機を見たのは45分頃になる。すると日航123
便が大月上空でループ飛行(一回転)した直後ということになる。しかもそれは日航機と非常に近い距離を飛行してい
たことになる。私の位置からは、北側の山肌に隠れて日航機はすでに見えない。
私はこの自衛隊機が日航機を誘導していたに違いないと考えている。おそらく、富士山西側を飛行中の32分頃か
らであろう。それゆえに自衛隊機との交信に追われ、他の交信には応答する間がなかったと見るのである。当然、会
話も同様であろう。しかし、ボイスレコーダーの筆記録には、自衛隊機との交信は一切見られない。自衛隊機は同空
域での存在すら認められていないのであるから無理もない。
ここから私の推論を混じえて進めさせていただくことにする。この自衛隊機2機は浜松基地を発進したと思う。事故
発生7~8分後であろう。そして18時34分頃からは無線交信を始めたかもしれない。実際、日航乗員組合でパイロッ
トに話を聞いた折、私は次の質問をしてみた。
「あなたが事故機を操縦していると考えて下さい。その時、近くで誘導してくれる機があっても、交信は続けますか?」
の問に、
「いいえ、誘導してもらえるというのは、そうしためんどうを全部まかせるということです。操縦に専念できるということで
す。」
私はこれが「無交信」の理由だと推定した。ボイスレコーダーは、公表されるたびに、言葉が変わったり、あった会話
がなくなったりしていることは前にも述べた。同様に、自衛隊機との交信は全て筆記されていないと私は考えている。
18時45分頃には、自衛隊機は日航123便に再接近した。報告書では、相模湖を過ぎるとすぐに北に転じ、東京都
檜原村上空を経て、青梅市の北に出ることになっている、今度は北西に向きを変えて奥多摩町日原から雲取山方向
へ飛行したことになっている。
これは非常に重要な点であるので記憶しておいていただきたいのであるが、私の調査では、檜原村で北に転じる航
跡より、約20キロメートルも東、つまり東京都心よりの五日市町や日ノ出町に多くの目撃者があり、前出の日ノ出町
の北島清司氏は本人の頭上を東から西に通過したと証言されている。日航機が横田からわずか10キロメートル以内
まで接近したのは確かである。何故、航跡図をゆがめてまで、横田基地への接近を伏せなければならないのか。ある
いは他に伏せるべき「何か」が航跡上にあるのだろうか。
よく考えてみると、自衛隊の基地が集中している首都圏近郊で、32分間も123便は飛行しているのである。ソ連な
どからの領空侵犯機に対しては、4~5分で緊急発進できる体制が組まれている航空自衛隊である。どこかの基地か
ら、誘導のために緊急発進していても全然おかしくはないはずである。