「この世の地獄が朝鮮のソウルに出現した。私は、すでにあの国は野蛮国と評するだけでは足りないと思う。 妖怪と悪魔の地獄の国と呼びたい。地獄絵図を作ったのが誰かというと、事大の国家官僚たちであり、 その後ろ盾となっているのは支那人である。私は、遠く離れた隣国にいるので、支那・朝鮮に縁はないのだけれど、 事情を聞くとただ悲しくてたまらない。言葉を紡ごうと思うが、涙がこぼれて原稿用紙が濡れてしまう。」 福沢諭吉 (*上の言葉は、金王均などの開化派が、残虐な凌遅刑にされたのを受けての寄稿文ですね。 当時の朝鮮は幼児を含む三親等までの近親者が残忍な方法で処刑されました。 福沢諭吉が『脱亜論』を書いたのはこの一ヵ月後です。)