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>  2013/06/16 (日) 17:52:59        [qwerty]
> 1960年9月19日、一ノ倉沢で救助を求める声が聞こえたとの­通報があり、
> 警備隊が現場に急行したところ、衝立岩(ついたてい­わ)正面岩壁上部
> からおよそ200m付近でザイルで宙吊りになっ­ている2名の登山者を発見した。
> 2名の死亡は、遠方からの双眼鏡による観測で確認された。
> 現場となった衝立岩正面岩壁は、当時登頂に成功したのは前年の1­例のみと
> いう超級の難所で、そこに接近して遺体を収容するのは二­次遭難の危険が高く不可能と思われた。
> 当初は油に浸したボロ布を巻いた長い鉄棒を用いてザイルを焼き切­るとい
> う案が出されたが、検討の結果不可能と判明。所属する山岳­会や2人の両親
> のたっての願いで、遺体を宙吊りにしているザイル­を銃により打ち抜き切断し、
> 遺体を収容することになった。
> 自衛隊より狙撃部隊が召致され、銃撃を試みたが、数百メートル先­のヒモ(ザイル)
> の切断は難航を極め、2時間で1000発以上の­小銃・軽機関銃の弾丸を消費したものの、
> 不成功であった。その後­、ザイルと岩の接地部分を銃撃することでザイル切断に成功、
> 遺体­を収容した。最終的に消費した弾丸は1300発に上る。

何このヤマノススメ(;´Д`)

参考:2013/06/16(日)17時49分28秒

2013/06/16 (日) 17:49:28        [qwerty]
1960年9月19日、一ノ倉沢で救助を求める声が聞こえたとの­通報があり、
警備隊が現場に急行したところ、衝立岩(ついたてい­わ)正面岩壁上部
からおよそ200m付近でザイルで宙吊りになっ­ている2名の登山者を発見した。

2名の死亡は、遠方からの双眼鏡による観測で確認された。

現場となった衝立岩正面岩壁は、当時登頂に成功したのは前年の1­例のみと
いう超級の難所で、そこに接近して遺体を収容するのは二­次遭難の危険が高く不可能と思われた。

当初は油に浸したボロ布を巻いた長い鉄棒を用いてザイルを焼き切­るとい
う案が出されたが、検討の結果不可能と判明。所属する山岳­会や2人の両親
のたっての願いで、遺体を宙吊りにしているザイル­を銃により打ち抜き切断し、
遺体を収容することになった。

自衛隊より狙撃部隊が召致され、銃撃を試みたが、数百メートル先­のヒモ(ザイル)
の切断は難航を極め、2時間で1000発以上の­小銃・軽機関銃の弾丸を消費したものの、
不成功であった。その後­、ザイルと岩の接地部分を銃撃することでザイル切断に成功、
遺体­を収容した。最終的に消費した弾丸は1300発に上る。

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