私たちの労働観を形成する元になったという意味で、秀吉はもう1つ、非常に重要な刑を制定しました。「奉公構(ほうこうかまい)」というものです。  奉公構は当時、切腹に次ぐ重刑でした。この重刑が示すのは、ほかの大名に一度でも仕えたことのある武士は、別の大名に仕えてはならないという規範。つまりは、武士の中途採用禁止令です。  武士というのはそれまで、自由に奉公先を変えることもできましたが、これによって武士は転職できなくなり、嫌でも、生涯一人の主に仕えるしかなくなってしまったのです。