> 2000/03/05 (日) 02:27:35 ▼ ◇ [mirai]> 何か豆知識頼むよ(´ー`)y-~~
節分の由来
在は立春の前日(太陽暦の2月3日か4日)をさすが、元はそれぞれの季節が終わる日、つまり
立春、立夏、立秋、立冬の前日をいった。「源氏物語」の「宿木(やどりぎ)」に、4月ついたち
(陰暦)ごろの節分(せちぶん)と言っているのは、立夏の前日である。節分につきものの
「鬼やらい」の行事は中国の大儺(たいな)が源流で、恐ろしい形相の面をつけた呪師が疫鬼を
追い払う行事が、周代には季節ごとに行われ、漢代には12月のうちに1度、唐代や宗代には
大晦日(おおみそか)の夜に朝廷で行われた。
日本では706年(慶雲3)たくさんの人民が疫病で死んだので、土牛を作って初めて大儺を
行ったことが「続日本紀(しょくにほんぎ)にみえる。
大儺は追儺(ついな)とも言い、朝廷では鎌倉時代まで大晦日の夜に行った。
節分に豆で邪鬼をはらう行事が室町時代の京都で行われたことが、「看聞(かんもん)日記」の
1425年(応永32)の記録にみえ、「臥雲日件録」1447年(文安4)の頃には、立春前夜
に家ごとに豆をまき、「鬼は外、福は内」と唱えたと記されている。
江戸時代になると、春をむかえる厄払いの行事として諸国の神社や家庭に広まり、体を豆でなでて
厄をうつしたり年齢の数だけ豆を食べたりするようになった。ヒイラギは葉が鋸状にとがっている
ので「鬼の目突き」と呼ばれその先にイワシの頭を刺して戸口に掲げると邪気の侵入を防ぐとされた
参考:2000/03/05(日)02時25分53秒