>  2000/06/07 (水) 02:24:16      [mirai]
> > プル-ストやカフカは数十年単位ですがそうですし、ジョイスに至ってはユリシ-ズ解読協会の
> > ようなモノがあるほどですし、聖書は数千年に渡っての多種多様な認識論的視点からの解釈作業が
> > 連綿と続けられてますよ(´ー`)
> 聖書の解釈の目的は歴史的事実の追及であるし、
> ジョイスは言語学的分野から離れ、文学的解釈に終始していると思うがどうか

聖書の解釈はニ-チェ経由の存在論的視座に立ったバルトによる新解釈が進んで
相当数の年月が経ちましたし、ジョイスはラカンの「サント-ム」で「ジョイスのエゴ」の発現作品と解され、
デリダのカフカの「掟の門前」膨大な読解作業論文は有名ですし、ドゥル-ズは「失われた時を求めて」を
「無意志的記憶への潜行作業」とし評し、アンチ・オィディプスへの繋ぎとして「サドッホとマゾ」読解しましたし、
ロラン・バルトに至っては文学作品というエクリチュ-ルは解釈の多義性を無限に許容する物質性を
内包しているとし、「制度としての著者は死んだ」という名言を吐き捨てたほどですが、何か?(´ー`)

参考:2000/06/07(水)02時15分15秒