> 投稿者: 2000/09/20 (水) 06:25:17 ▼ ◇ [mirai]> クソアマ=NTT?
「クソアマ=NTT?」、、、この言説に私はある種の差延という言語使用に不可避的に
付随する言語のロゴス中心主義的な暴力性を論理的に脱構築せんとする鋭敏明哲たる
頑強な意志の声を聞き取らずにはいられなかった。
まず、このクソアマというある意味魔術化された非合理性の極致とすら言える記号内容に
注目していただきたい。この至る所で頻用され、他者性に貫徹された重層的な厚みを持つ
が故に、我々の一義性の悦楽への悪しき憧憬を激しく刺激するエクリチュ-ルは、その
基本構造において意味の不透明性を内包し、それが故に我々に「神話作用」というプチ・ブル的
自己欺瞞への道を開かせながらも、しかしながら、その決定不可能性を未だ有するという特殊性に
ある。これは差延により暴力的に産出された二項対立的図式の虚妄を脱構築的に糾弾すると同時に
対象の絶対的他者性という、本来的な倫理性への警告として機能する意味作用を有していと言えるだろう。
このような「鈍い意味」又意味生成性とも言えるクソアマという単一記号の後に「=NTT」という
名辞がひそやかに導入される。NTTという少なからず透明性の共通感覚のうちに回収される
であろう言葉を引き出すことにより、この書き込みは非合理なものが何時しか合理的なモノと
等置され、二項対立関係へと組み込まれてしまう形而上的表徴体系の悪癖をシニフィアン
レベルで暗示しているのである。
最後に「?」だが、この意味記号が前後の文脈連関の中に配置されることによって醸し出される
意味作用の素晴らしさは既に言うまでもないだろう。つまり、元々エクリチュ-ルという両義性の
それが、人間精神によってロゴス中心主義の一義性へと還元される表象的意味と、それには
還元され得ない「意味ならざるモノ」へと差異化されてしまう「差延」効果の悪徳を批判する(クソアマ)と
同時に、そのような「意味ならざるもの」を表象的意味に対しての反対概念として捏造し、形而上学的
二項序列を生み出そうとする、プラトンからヘ-ゲル、マルクス、ひいてはサルトルにまで至る
悪しき哲学的言説の諸相をそのシニフィアンレベルで断罪する(=NTT部分)言語内容を締めくくるために、
それを明白な記号表現としての「?」の裡に凝縮して明示せしめたのである。
この一行の書き込みに圧縮的に含意された厳酷なまでの形而上学批判に我々は
コウベを垂れ、ただ賞賛の念を送れるのみなのである!!!11111
参考:2000/09/20(水)05時38分11秒