>  投稿者:   2000/10/15 (日) 03:06:35      [mirai]
> > 世界内存在としてある主体と、解釈を迫るテキストとしての世界との解釈学的循環

中略

> ダブルバインドが常にあるわけで、そこを踏まえなければ間主観性以降の間テクスト性の
> 現代においては何にもならないわけで、デリダの最近の政治参加の原因もそこにあるわけさ

これはもはや新手の念仏荒らしとみなしてよいと思うがどうか?

参考:2000/10/15(日)03時03分59秒