> > 世界内存在としてある主体と、解釈を迫るテキストとしての世界との解釈学的循環 中略 > ダブルバインドが常にあるわけで、そこを踏まえなければ間主観性以降の間テクスト性の > 現代においては何にもならないわけで、デリダの最近の政治参加の原因もそこにあるわけさ これはもはや新手の念仏荒らしとみなしてよいと思うがどうか? 参考:2000/10/15(日)03時03分59秒